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日本の群島のそれぞれの主要な島々で大麻が栽培されていてもドラッグ乱用問題の記録は何も ありませんでした。明治と大正時代の間インドからの大麻薬は自由に輸入されました、 全ての西洋諸国が19世紀の間そうであったように、その当時インド大麻は 普通に医薬として用いられました。日本では17世紀、徳川幕府(軍政府) は一度タバコの栽培と使用を禁止しようと試みたことがありますが、 大麻はアメリカの占領軍が非合法にするまでは一度もそんなことはありませんでした。 マリファナ禁止令は、千年期の古い日本文化の破壊でした。 |
1912年の初期からアメリカは自国のドラッグ政策を輸出しようと試み、 あたかも成功の見本ででもあるかのように他の国々に無理矢理それを真似するように押しつけました。 19世紀の後半以来アメリカは様々な物質の禁止令を実験してきました、 そして偶然の一致では無くほとんどの場合禁止された物質はその当時不人気だった 特定の人種の少数民族と関連づけられます。一番最初の合衆国連邦薬事法は明らかに中国の 移民をターゲットにしました。日本人と中国人は、「黄禍」と呼ばれました。 |
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それからこれらの少数派の人々はマリファナのことをとても危険なドラッグで普通の人々を 気が狂った血に飢えている殺人者に変えてしまう「殺人草」であると描写する 「イエロープレス」新聞を使った人種的差別主義者のプロパガンダの標的になりました。 一般人民はマリファナは人々を狂気に駆り立て、コントロールが効かなくなって暴力的に すると聞かされました。マリファナ禁止法に至る主張は何一つ実証されませんでした、 しかし要求が何度もくり返された時、とにかくかなりの人々がそれらを信じました。 結果としてドラッグ禁止法になった 「マリファナ税法」 はアメリカ最高裁判所による憲法違反の宣告を避けるために(いずれにしてもアメリカ 最高裁判所は1969年にその法律を否決しましたが)1937年に税法として身支度を整えました。 それはその国の初代と三番目の大統領である ジョージ ワシントン とトーマス ジェファーソン両人とも自分の農場でマリファナを育てたことがありましたが、その国の300年の歴史の中で初めてマリファナを禁止する連邦法でした。マリファナを犯罪とすることによって黒人とヒスパニック系の人々は今や容易に逮捕され、投獄され、脅されることができるようになりました。マリファナ税法はまったくの人種差別主義者の道具でした。丁度禁酒法と同じようにドラッグ法は民俗少数派を迫害する道具になりました。 マリファナがアメリカで禁止された時、それの使用がいくつかの重大な問題の原因となる信用できる 証拠は何もありませんでした。1937年 マリファナ税法 が準備された時、アメリカ医学協会(AMA)の代表だったウッドワード博士でさえ マリファナを禁止することに反対し その有害さの証拠はどこにあるのかと尋ねました。 マリファナを使用するのが流行っていた民族少数派や ジャズミュージシャンのような人々を悩ますための道具を提供したので、 どうしてもマリファナは禁止されました。1960年代マリファナが西洋や日本で若者の間で流行した時、 その同じドラッグ法は戦争反対の抗議者達を困らせる便利な道具を提供しました。今日、 日本ですべてのマリファナ逮捕者の70%は30才以下の人々であり、 彼等は日本の社会の中でほとんど力や地位を持っていません。 |
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