平成10年(ネオ)第110号

上告理由書

                  上告人 沼倉 英晶

                  上告人 丸井 英弘

                   被上告人 日本放送協会

 平成10年4月3日

上告人本人および上告人沼倉英晶代理人 丸井英弘

事務所 東京都国分寺市南町3ー18ー8 

武蔵野共同法律事務所

電話0423ー25ー1224

 最高裁判所 御中 

目次

はじめに(大麻取締法の当否を根本から見直すべきである)

第1 原裁判所の判断

第2 原判決の問題点

1。大麻取締法の適用対象についての解釈の誤りと理由不備

2。本件番組の内容が真実に反するか否かー大麻は「麻薬」と呼んだり「大麻汚染」と番組の表題をつけることが適切か否か?

3。原判決の解釈は、憲法第19条・21条に違反し、かつ理由不備がある。

4。原判決の放送法に基づく受信契約の解釈の誤りと理由不備

5。取材の際の合意違反について、原判決の事実認定の誤りと理由不備

第3 上告人丸井英弘の被上告人の取材の際伝えた大麻に対する見解

第4 麻薬の薬理学的・社会学的定義と大麻。

第5 大麻の有益性について

上告の理由

原裁判所(東京高等裁判所第12民事部 裁判長裁判官 稲葉威雄 裁判官 大藤敏 裁判官 橋本昇二)の判断には、憲法の解釈に誤りがあり(民事訴訟法第312条1項)、またいずれも結論のみが先行して、具体的理由づけは、極めて不十分であり、理由が不備である(民事訴訟法第312条2項6号)。

はじめに(大麻取締法の当否を根本から見直すべきである)。

軍事占領下の1948年に大麻取締法が制定されてから今年で満50年になる。

大麻取締法の当否を根本からみなおすべき時期に来ていると考える。

大分県日田郡大山町小切畑で大麻すなわち麻の栽培をしている矢幡左右見さんが 96年6月26日、文化財保存技術保持者として文部大臣から認定を受けたことを、大山町のホーム頁でみつけたが、その記事の要約は次のとおりである。このように、大麻の栽培者が文化財保存技術保持者として文部大臣から認定を受けているのであり、大麻すなわち麻を「麻薬」とか「汚染」と呼びことが不適切であることは、明白である。

『 矢幡さんは、昭和6年に栽培を始め、49年から福岡県久留米市の久留米絣(かすり)技術保存会から正式な依頼を受けて粗苧の製造 を始めました。以来、矢幡さんは毎年、粗苧20Kgを出荷しています。

粗苧(あらそ)とは、畑に栽培され、高さ2メートルに成長した麻を夏期(7月中旬頃)に収穫して葉を落とし、約3時間半かけて蒸し、さらにそぎ取った表皮を天日で一日半ほど乾燥 させて、ひも状にしたものです。

粗苧は、国の重要無形文化財である「久留米絣」の絣糸の染色の際の防染用材として使われ、久留米絣の絣模様を出すためには欠かせないものです。しかし、栽培・管理の手間に比べて利益率が低いことから生産者は減少の一途をたどり、 現在では矢幡さん一家を残すのみとなりました。 久留米絣の模様は粗苧なしではできないといわれており、粗苧が無形文化財の保存・伝承に欠く ことのできないものであるということから、今回の認定になりました。

矢幡さんは、「ただ、自然にやってきたこと だけなのに、とても名誉なことです。」と話しています。』

被上告人のように大麻すなわち麻を「麻薬」とか「汚染」と呼びことは、大麻に対する偏見を助長させるものであり、その影響力は計り知れないほど大きいので、速やかに改めなければならないものである。

なお最近、報道機関の大麻に対する取り上げ方にも大きな変化がみられる。

月刊「テーミス」1998年4月号90〜91頁に代理人に対するインタビュー記事がでたので、報道機関の大麻に対する取り上げ方にも大きな変化がみられる資料として引用する。

 また、朝日新聞1998年3月30日付けの国際版によれば「大麻合法化求めデモ」題して次ぎの記事がのっていたが、イギリスのおいても大麻使用の合法化は時間の問題になってきた。

【ロンドン28日=共同】大麻合法化を求めるデモが28日、ロンドンで行われ、約1万人が参加した。写真AP。

合法化キャンぺーンを張っている英紙インデイペンデント・オン・サンデーが企画、与党労働党議員やポップス歌手も参加。多くの参加者は公然と大麻を吸って行避したが、警察官は黙認した。

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月刊「テーミス」1998年4月号90〜91頁

「安全治療薬」としての評価も

マリフアナ有害説は、世界の少数派に !

「地球上で最も安全な治療薬」「大麻取締法はまったく無意味」という声も

アルコールやたばこより安全

長野五輪男子スノーボード大回転で優勝した、カナダ人選手のマリフアナ事件を機に、マリフアナの有害性に関する論議が再燃してきた。

もともと一部の識者の間では、「マリフアナを、コカインや覚醒剤など他の禁止葉物と同様に規制するのはおかしい」といった批判が根強く、占領下の立法である大麻取締法の是非を間う声は、かなり前から出ていた。

それでもわが国では、「マリフアナは反社会的薬物」との認識が一般的だ。

しかし諸外国の多くは、マリフアナ有害説を否定し、市民社全に受け入れるべき日常の嗜好品、とみる流れが大勢を占め始めている。現に米国・カリフォルニア州とアリゾナ州では、医療目的のマリフアナ便用が合法化されているし、オランダではマリフアナを吸えるカフェがある。カンポジアに至っては、科埋用として八百屋で売られている。

一体、マリフアナとは何か。人はマリフアナを吸うとどうなるのだろうか。

マリフアナは大麻、ザンジャ、グラス、ハシツシ、ハツシユともいわれ、わが国でも縄文峙代から親しまれていた麻のことである。吸う場合には、3〜9枚の小葉が掌状に集まった部分を乾燥させ、たばこ状にすることが多い。

マリフアナの有害性として、よく指摘されるのは、脳への悪影響だ。中枢神経抑制作用があるため、幻覚を伴っ興奮状態から陶酔感を起こし、眠気が強くなる。乱用によって中毒症状に陥り、注意力や調整能力が低下する、という。また、不妊や染色体異常を誘発するともいわれる。

しかし実は、こうした有害牲を実証する医学的な根拠はほとんどない。生物・医学・薬埋学・生化学の研究者が、動物実験などを行ったが、現在までマリフアナ吸引と脳神経の異常を結ぴ什ける事実は、証明されていないのだ。それどころか逆に、脳に好影響を与える物質の存在が報告されている。

ハーバード大学医学部のレスター・グリンスプーン精神医学博士は、著書『マリフアナ』の中でこう述べている。「自然のままの状態を保持しているマリフアナは、おそらく私たち人類が知リうる限り、治療効果のある最も安全な物質であろう」マリファナには致死量がない。従って、飲み方によっては急死に至る酒や、ニコチンを含んだたぱこに比べ、極めて安全ともいわれる。

かつては瑞息薬として市販も

米国では過去に、高校生や大学生を対象に、マリフアナ吸引と学業成績の関係を調査したが、吸引者が非吸引者より学業成績が劣る、との結論は見いだせなかった。

ジヤマイカ、コスタリカ、ギリシャなどでは、マリフアナと労働生産性に閥する調査が行われ、影響がないことが結論づけられている。ちなみにジャマイカでは、仕事の生産性を上げるためにマリフアナを吸う人が多いという。

マリフアナの中毒性(習慣性)についてはどうか。全米の総人口約2億5千万人のうち、マリフアナの吸引経験者は約7千万人。このうち常用者は1千数百万人である。また、’93年度の全米麻薬乱用家庭調査では、12歳以上の米国人の34%がマリフアナを吸った経験を待つが、彼らの大多数が調査時点では、吸引をやめていた。これらのデータは、遇去に吸った人の大部分がいまは吸っていない事実を示している。つまり、マリフアナには禁断症状や異常反応が出る「身体的依存性」はない。あるとすれぱ「精神的依存」だが、これは食べ物に好物があることと同じというのが、研究者の一致した見方だ。

心配されるのは、胎児の成長障害や早産など、妊娠中の女性に対する悪影響である。しかし、これにも医学的な根拠はない。煙を吸うため、肺に多少の害を及ぼすことは避けられないが、吸い込む煙の量は、たばこ喫煙者より少ない。

海外のマリフアナ事情を見てみよう。

欧州各国では国際条約(’61年の麻薬に関する単一条約)との関係からマリフアナを規制する法律があるが、国によっては政府の政策として、個人便用目的での所持を合法化した例がある。

例えば、オランダではアムステルダムやロッテルダムなどの街中に、マリフアナを買ったり吸ったりできるカフェがある。普通の喫茶店でコーヒーを飲むのと全く同じ雰囲気で、若者が吸う姿が見られる。アルコールなら、大声を出す酔っばらいもいるが、マリフアナは鎮静作用があるため、静かに音楽を聴いたりゲームを楽しむだけだ。

ドイツでは、数年前に憲法裁判所でマリフアナの個人便用を、アルコール並みに認める判断が出された。

スイスにおいても、州によっては個人便用を認めており、マリフアナの茎を原科にした建築材料も生産されている。

米国やカナダでもここ数年、マリフアナ使用の自由化に向けた動きが活発化してきた。アジア・アフリカ諸国では、マリフアナを大量に栽培し、喫煙や食用の習慣のある国が少なくない。

マリフアナを扱いながら礼拝するゾロアスター教の例は特別としても、諸外国の多くはマリフアナを産業用、医療用としても研究している。それは、党醒剤やコカイン、ヘロインといった明らかに有害性と致死量が立証されている他の麻葉と、マリフアナとの違いを認識している結果であろう。実際、わが国でも法的にマリフアナだけは大麻取締法として、麻薬取締法とは別の法律で規制されている。法的には、他の薬物と一線を画していながら、多くの日本人はマリフアナもコカインも法律で禁じられた有害薬物との認識しかない。しかし第2次大戦前までは日本でも「インド大麻煙草」と呼ぷ喘息の薬が市販され、全国各地で大麻が栽培されていたのである。

「ごはんは太る」と同じ騙し方

150件以上のマリフアナ事件を扱ってきた丸井英弘弁護士が、説明する。

「マリフアナはハーブ中のハープ。マリフアナが原因で因暴な行動に走った例はない。これは遇去多くの研究論文でも明らかにされているし、私が20年以上の弁護活動で担当した事件でも、具体的弊害は全く見られなかった」

それではなぜ、大麻取縮法では、無免許でマリフアナを栽培したり所待することを禁じているのか。

「何のための免許制かは全く不明で、単に法律があるから規制しているに遇ぎない。取り締まっているせいで、暴力回の資全源にもなっている」

丸井弁護士によると、マリフアナを使ったり研究した人で、有害性を指摘する人はいない、という。

具体的な弊害を確認して「反社会的葉物」と決められたのではなく、法律違反だから悪い、とされているに過ぎない。

大麻取締法が制定されたのは’48年。第2次大戦後の占領政策の中で米軍が@神道との結ぴ付きが強い大麻に危惧をもった、A米回で当時発達しつつあった石油化学産業や木材パルプ産業の市場を確保する−という2つの狙いから、日本に押しつける格好で作られた法律なのである。

マリフアナすなわち大麻は、医薬品としての有効性だけでなく、茎からは紙や建材が、種からは蛋白質ビタミンや燃科が取れる。

産業用としての大麻の有効性に着目する麻産業研究家の中山康直氏は、マリフアナが視制された背景を、こう指捕する。

「国際条約で禁止された時も、日本で大麻取緒法ができた峙も、経済的思惑があった。当時、新産業として注目された石油・紙パルプ産業と、大麻の栽培・生産が競合したため。戦後、新薬を売るために『漢方薬は効かない』といったり、パンの雷要を増やすために『ごはんは太る』といったのと同じだ」

前出の丸井弁護士が続ける。

「諸外国では今後2〜3年のうちにも自由化する方向に流れている。目本でも独自に法律の是非や必要性を、ゼロから再考すべきだ」

すでにインターネット上では、麻薬マーケットが浸透し始めた。マリフアナの栽培方法から新種の薬物、覚鯉剤の密売情報まで氾監。薬物に関する正しい知識を学んでいない日本の若者たちは、違法販売の餌食になっている。

大麻取緒法が制定されて、ことしでちょうど50年目。米国の対日経済政策の一環として押しつけられたようなこの法律を、適切な判腓もせずに温存していけば、いたずらに多くの若者を犯罪者に仕立てるだけである。日本も、マリフアナの有害性や大麻取締法についての、独自の議論を始める時期にきている。それが結果的にコカインやへロインなど、本当に危険な麻薬の乱用防止につながっていく可能性もある。

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第1 原裁判所の判断

原裁判所の判断は、次の通りである。

「本件番組放送の内容は、前判示のとおりである。

控訴人らは、その内容が控訴人らの見解に反するものであり、真実でもなかったから、その名誉ないし信用(人格権)が害され、放送法にも違反すると主張するが、法律が大麻を有害薬物とし、その所持・使用等を禁止していることは、前示のとおりである。控訴人らがこれに反する見解をもつことは、それが違法行動にまで至らない限り間題はなく、その信条の自由は尊重されねばならないが、他方、その見解(まして、それは現行法上違法なものである。)に基づいた放送番組の制作・放映を要求できる筋合いのものではない。

目本国内においてテレピの受信設備を設置した者は被控訴人との受信契約の締結を強制されており、これに基づいて受信契約を締結しているが、これは被控訴人と受信契約を締結した者すべてに共通であり、控訴人らに特有のことではないし、そのような要求をする権利が被控訴人との受信契約の締結によって導かれることはない。放送番組については、善良な風俗を害しないことが要求され(放送法一二条の二第一項一号)、法律の定めがない限り、何人からも千渉され、又は規律されることはない(同法一二条)。

本件番組の内容が真実に反すると認めるに足る証拠はない。その放映による控訴人らの人格権の侵害は認められないし、放送法違反の事実も認めることができない(そもそも、仮にこれらの事実があったとしても、本件誓約書のような内容の文書の交付を請求することができるものではない。)。

なお、民法七二三条又は放送法四条は、その趣旨からいって、およそ本件誓約書の交付請求を根拠付けるものとはいえない。

控訴人丸井は、同人との取材時の合意に反したことを本件請求の根拠として主張する。しかし、甲14及び15によれば、右取材は本件番組制作の参考として同控訴人の意見を聞きたいという趣旨のものであって、その意見を番組に反映させるというような合意が成立したとは認められないし、まして本件誓約書交付詰求の根拠となる合意の成立を認めることはできない。」

第2 原判決の問題点

原裁判所(東京高等裁判所第12民事部 裁判長裁判官 稲葉威雄 裁判官 大藤敏 裁判官 橋本昇二)の判断には、憲法の解釈に誤りがあり(民事訴訟法第312条1項)、またいずれも結論のみが先行して、具体的理由づけは、極めて不十分であり、理由が不備である(民事訴訟法第312条2項6号)。

1。大麻取締法の適用対象についての解釈の誤りと理由不備

原判決は、次のように述べている。

「本件番組放送の内容は、前判示のとおりである。

控訴人らは、その内容が控訴人らの見解に反するものであり、真実でもなかったから、その名誉ないし信用(人格権)が害され、放送法にも違反すると主張するが、法律が大麻を有害薬物とし、その所持・使用等を禁止していることは、前示のとおりである。控訴人らがこれに反する見解をもつことは、それが違法行動にまで至らない限り間題はなく、その信条の自由は尊重されねばならないが、他方、その見解(まして、それは現行法上違法なものである。)に基づいた放送番組の制作・放映を要求できる筋合いのものではない。」

2。原判決は、「法律が大麻を有害薬物とし、その所持・使用等を禁止していることは、前示のとおりである」といっているが、前示とは、1審判決で次のようにいっている内容である。

 「争いのない事実等

  大麻取締法は、大麻の栽培等を禁止し、その罰則として、大麻を栽培し、輸入し、又は輸出した者を七年以下の懲役に、大麻を所持し、譲り受け、又は譲り渡した者を五年以下の懲役に、それぞれ処するなどと規定している。(公知の事実)

  

 大麻が有害か否かについて

  前記争いのない事実等1(一)記載のとおり、法は、大麻が人の心身に有害であることを前提として、大麻の栽培等を禁止し、これに対する罰則を設けておりまた、累次の判例(東京高裁昭和五五年(う)第九八九号同五六年六月一五日判決・判例時報一〇二六号一三二頁、最高裁昭和六〇年(あ)第四四五号同年九月一〇日第一小法廷決定・裁判集刑事二四〇巻二七五頁等参照)に照らしても、大麻の有する薬理作用が人の心身に有害であることは否定できないところである。」

しかし、大麻取締法は、日本に有益な植物として古来からあった大麻の取り扱いの自由を占領政策という政治経済的理由で規制したものであって、大麻が人の心身に有害であることを前提として、大麻の栽培等を禁止したのではない。

そして、1961年の麻薬に関する単一条約の28条2では、「この条約はもっぱら産業用の目的ー繊維及び種子に限るーまたは、園芸用の目的のための大麻の栽培には適用しない」とされており、日本も1964年7月13日にこの条約を批准しているので、産業用と園芸用の低THCもしくはTHCを含まないCBDA株の大麻の栽培は、大麻取締法の規制対象外と考えるべきである(厚生省薬務局麻薬課発行の「大麻」80頁参照)。

原判決は、日本に古来からある産業用と園芸用の低THCもしくはTHCを含まないCBDA株の大麻も大麻取締法の規制対象になる違法なものであると解釈しているのであり、その法解釈は、誤りである。そして、被上告人の「麻薬」とか「大麻汚染」という表現は、日本に古来からある産業用と園芸用の低THCもしくはTHCを含まないCBDA株の大麻も「麻薬」とか「大麻汚染」と言われるものであると視聴者に誤解を与えたものである。

2。本件番組の内容が真実に反するか否かー大麻は「麻薬」と呼んだり「大麻汚染」と番組の表題をつけることが適切か否か?

原判決は、具体的理由を示さないまま、「本件番組の内容が真実に反すると認めるに足る証拠はない」としているが、まさに理由不備である。

 

@ところで大麻を麻薬と呼ぶ根拠について、被上告人は、答弁書(2)5頁4〜6行目で、『本件番組においては、麻薬という用語が3回もちいられているが、これは法禁制の薬理作用をもつ物質の一般的呼称として「麻薬」という用語を用いたにすぎない』と主張している。しかしこのような被上告人の見解は、まさに放送法に違反しているものである。

法禁制の薬理作用をもつ物質の一般的呼称として「麻薬」という用語を用いることは、全く不適切である。

とくに、大麻は人類にとって重要な栽培食物であるアサのことであり、この麻の栽培・所持などが大麻取締法によって、許可制にされているにすぎない。

さらに、前述したように1961年の麻薬に関する単一条約の28条2では、「この条約はもっぱら産業用の目的ー繊維及び種子に限るーまたは、園芸用の目的のための大麻の栽培には適用しない」とされており、日本も1964年7月13日にこの条約を批准しているので、産業用と園芸用の低THCもしくはTHCを含まないCBDA株の大麻の栽培は、大麻取締法の規制対象外と考えるべきである(厚生省薬務局麻薬課発行の「大麻」80頁参照)。現に、大昭和製紙の朝日新聞1997年4月30日号の広告記事(甲第24号証)では、「麻から芽生えた文化。」と題して麻の文化を紹介しているほどである。

日本の場合1万年以上前の縄文時代から自由に栽培・使用されてきた大麻を法禁制の薬理作用をもつ物質の一般的呼称として「麻薬」という用語で呼ぶことは、放送法第3条の21項3号「放送は真実を曲げないですること」、放送法第3条の21項4号「意見が対立している問題については、出来る限り多くの角度から論点を明らかにすること。」、及び放送法第1条2号「放送の不偏不党・真実及び自律を保障すること」に各違反するものである。 

被上告人は、前述のように自ら発行する「男の食彩」で大麻すなわち麻が人間の生活に深い重要な栽培作物であろうという学者の見解を紹介しているのであるから、そのように重要な栽培作物である麻をあえて「麻薬」と表現したり「大麻汚染」と表現したことは、視聴者に大麻が人類に有害なものであるという大麻に対する大きな誤解と偏見を与えたものである。

A大麻は薬理作用の上でも麻薬ではない。

大麻が薬理作用の上でも麻薬ではないことは、医学博士の小林司氏が「心にはたらく薬たち」(甲9号証)の3頁のまえがきで、「大麻(マリファナ)が麻薬だと誤解している人も多い。こんな人たちの疑問に答えたいと思って、私はこの本を書いた。」で指摘されているとおりである。

この見解は医学者の常識であり、「マリファナ」レスター・グリンスプーン、ジェームズ・バカラー著 青土社発行(甲24号証)の帯では、次の様にこの本(以下本書という)を紹介している。

「それでも マリファナは麻薬なのか?  医師としての厳正な目でマリファナの薬理を分析し、マリファナが安全な鎮吐・鎮静剤であり、ガン治療の副作用の緩和、緑内障の進行の抑止、アトピー性皮膚炎の治療などに著しい効果の認められる優れた医薬であることを実証して、その豊かな可能性を告げる、衝撃のドキュメント。」

そして、著者のグリンスプーン医学博士は本書のまえがきで次のように述べている。

「1967年にマリファナの研究に手を染めたとき、マリファナが有害な麻薬であって、多くの愚かな若者たちがその害にたいする警告に耳を傾けようとしない、あるいは、それを理解できないでいるのは不幸なことであるという考え方について、私はいささかの疑念ももちあわせていなかった。私は、科学や薬学の専門家の文献や、そうした専門知識をもちあわせていない人たちの手になった文献を詳しく調べていったのだが、3年も経たないうちに私の考えは変わりはじめた。アメリカに住んでいる多くの人たちと同じように、私もまた洗脳されていたのだという事実を理解するにいたったのである」

本書は1993年にYale University Pressより出版された「Marihuana,theForbidden Medicine」の翻訳書である。本書はマリファナすなわち「大麻の薬効」について書かれたものであり、その歴史や、大麻を使った場合の利益と危険の比較考量、医薬品としての過去と、将来についての可能性を、患者や医師の体験談を交えながら詳しく説明している。 著者の医学博士レスター・グリンスプーン氏は、ハーバード医科大学精神医学科准教授であり、マリファナ研究の第一人者として広く知られている。特に1971年に出版された著書「マリファナ再考 (Marihuana Reconsidered)」は全米でベストセラーを記録し、マリファナの医学的、精神学的、社会的、人類学的要素、そして法律的な側面をとらえた最も権威のある研究であると高い評価を得ている。1977年に改訂され後、本書の出版に続いて1994年に第三版が出ている。

一方のジェームズ・バカラー氏もまた、ハーバード医科大学精神医学科の教師であり、「ハーバード・メンタル・ヘルス・レター」編集委員を務めている。グリンスプーン氏とともにマリファナをはじめとする「精神変容ドラッグ」の研究に従事しており、2人の共著には「サイケデリック・ドラッグ再考(Psychedelic Drugs Reconsidered)」、「コカインとその社会的変遷Cocaine: A Drug andIts Social Evolution)」、「「自由社会におけるドラッグ管理(DrugControl in a Free Society)」などがある。

なお、別項で大麻の作用に関する研究報告などを紹介して、薬理学的定義からしても大麻が「麻薬」ではなく、「汚染」と評価されるものではないことおよび大麻の安全性・有益性を明らかにする。

B 大麻は、法律上の定義からしても、麻薬ではない。

 大麻は、大麻取締法によって、その取扱が免許制になっているが、大麻取締法の1条では、『〔大麻の定義〕として、『この法律で「大麻」とは、大麻草(カンナビス、サティバ、エル)およびその製品をいう。但し、大麻草の成熟した茎およびその製品(樹脂を除く)を除く。』と規定しており、麻薬ではないことは明らかである。さらに、麻薬および向精神薬取締法第2条の麻薬の定義からしても、大麻は麻薬ではない。

3。原判決の解釈は、憲法第19条・21条に違反し、かつ理由不備がある。

原判決は「控訴人らがこれに反する見解をもつことは、それが違法行動にまで至らない限り間題はなく、その信条の自由は尊重されねばならないが、他方、その見解(まして、それは現行法上違法なものである。)に基づいた放送番組の制作・放映を要求できる筋合いのものではない。」と結論をしているが、その理由は、全く不明確である。

また、このような原判決の見解は、憲法第19条・21条で保証された上告人らの思想表現の自由を否定するものである。

上告人丸井英弘の被上告人の取材の際伝えた大麻に対する見解は、別項で述べる。

4。原判決の放送法に基づく受信契約の解釈の誤りと理由不備

原判決の放送法に基づく受信契約の解釈について次のいように述べている。

「目本国内においてテレピの受信設備を設置した者は被控訴人との受信契約の締結を強制されており、これに基づいて受信契約を締結しているが、これは被控訴人と受信契約を締結した者すべてに共通であり、控訴人らに特有のことではないし、そのような要求をする権利が被控訴人との受信契約の締結によって導かれることはない。放送番組については、善良な風俗を害しないことが要求され(放送法一二条の二第一項一号)、法律の定めがない限り、何人からも千渉され、又は規律されることはない(同法一二条)。

本件番組の内容が真実に反すると認めるに足る証拠はない。その放映による控訴人らの人格権の侵害は認められないし、放送法違反の事実も認めることができない(そもそも、仮にこれらの事実があったとしても、本件誓約書のような内容の文書の交付を請求することができるものではない。なお、民法七二三条又は放送法四条は、その趣旨からいって、およそ本件誓約書の交付請求を根拠付けるものとはいえない。」

しかしながら、現判決も認めるように、放送法により、「目本国内においてテレピの受信設備を設置した者は被控訴人との受信契約の締結を強制されており、」上告人沼倉英晶は、これに基づいて被告との間で受信契約を締結していることは、争いがない。そして、上告人沼倉英晶は、この受信契約ににより、受信料金を支払う義務が発生するのである。そして、この受信料金の支払い義務は放送法によって根拠付けられているのであるから、上告人沼倉英晶は、この支払い義務の対応する権利として被上告人に対して、放送法を遵守する権利を与えたと考えるのが、民法第1条で規定されている信義誠実の原則や公平の原則からして当然である。

そのように解釈をしなければ、上告人沼倉英晶は、視聴料金のみ支払うことになり、被上告人の放送内容が放送法に違反していてもそれを是正することができないという不公平なことになる。そうだとすれば、今後視聴者が被上告人と受信契約をする際「放送内容が、放送法に違反している場合には、その番組の訂正に応じます」というい特別な合意を求めるという事態やさらにはそもそも被上告人に放送法上受信契約の締結権を与えることが妥当かどうかとの議論にも発展してくる極めて重要な論点なのである。

被上告人は、この受信契約によって、放送法に従って放送を行うことを受信契約者である上告人沼倉英晶受信に約束したものである。

本件番組は、前述のように放送法に違反しているので、上告人沼倉英晶は、被上告人との受信契約に基づき、本件誓約書の提出を被告に求める権利があるものである。

5。取材の際の合意違反について、原判決の事実認定の誤りと理由不備

@ 原判決は次にように述べている。

「控訴人丸井は、同人との取材時の合意に反したことを本件請求の根拠として主張する。しかし、甲14及び15によれば、右取材は本件番組制作の参考として同控訴人の意見を聞きたいという趣旨のものであって、その意見を番組に反映させるというような合意が成立したとは認められないし、まして本件誓約書交付詰求の根拠となる合意の成立を認めることはできない。」

A しかしながら、このような解釈は、極めて一方的でり、理由不備といわざるを得ない。

被上告人は、原判決も争いのない事実として認めるように、テレビジョン放送等を行うことを業務として、放送法に基づき設立された法人である。従って、被上告人は本件のような取材などそのすべての業務の遂行過程において放送法を遵守することは、当然の前提である。もし、仮に被上告人が放送法を遵守しないのならば、上告人丸井英弘は、本件取材には、応じなかったものである。現に、上告人丸井は、以前NHK教育TVの取材に応じたが、その番組の表題が「若者をむしばむ大麻」とされ、第2東京弁護士会人権擁護委員会で被控訴人の報道姿勢が問題にされた経験があるので、その事情を話して本件取材を一度は断ったのである(甲16・17・18号証参照)

しかし「(大麻ー悪、犯罪)という型にはまった見方」や「通り一遍の紋切り型の認識で制作、取材にのぞむよりも幅の広い見方でのぞみたいと思い、御相談した次第です。是非御一考いただいて御連絡いただければ幸いです。」との担当記者のファクス(甲14号証)を見て、大麻を一方的に麻薬扱いにするということはない、ましておや番組の表題に「大麻汚染」という文字が入ることはないと判断して取材に応じることにしたのである。そして、現実の取材における担当記者との話の中でも、大麻を一方的に麻薬扱いにしたり、さらには表題が「大麻汚染」という様になるという話は、全く出てこなかったものである。

この取材の経過からすれば、被上告人は、右取材に際し、取材に当たった担当デレクターを通じて上告人丸井英弘に対して、「(大麻ー悪、犯罪)という型にはまった見方」や「通り一遍の紋切り型の認識で制作・取材にのぞむよりも幅のひろい見方のぞむ」ことおよびその前提として放送法を守ることを約束したと評価できるものである。

B ところが、まさに本件番組は、上告人丸井の見解を全く無視し、「(大麻ー悪、犯罪)という型にはまった見方」や「通り一遍の紋切り型の認識で制作」したものである。このことは、本件番組後に担当デレクターから上告人丸井英弘に送られきた次の文書からも明らかである(甲第4号証の2)。

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   丸井弁護士様

先日はお忙しい中お時間を割いていただき、ありがとうございました。

番組は予定通り3月27日にクローズアップ現代で「若者に広がる大麻汚染」(汚染の文字を入れることに私ー原文では渡しとなっているーは最後まで抵抗したのですが・・・)というタイトルで放送することができました。試写の段階で上層部と大分もめましたが、NHKにしては珍しい(?)”きわもの”の番組ができたと思います。

お約束通り番組のVTRをお送りいたします。先生のお立場から見た感想などお聞かせ下さればさいわいです。

   NHKディレクター  原 靖和             

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D さらに本件番組は、放送法にも違反している。

E 従って、上告人丸井は、被上告人との取材に際しての合意に反する本件番組の放送に対して、民法第417条・722条に基づいて、本件番組の是正に必要な誓約書の交付や損害賠償を求めることができるものである。

第3。上告人丸井英弘の被上告人の取材の際伝えた大麻に対する見解

上告人丸井英弘の被上告人の取材の際伝えた大麻に対する見解の要旨は、次のとおりである。なお、「第4 麻薬の薬理学的・社会学的定義と大麻」と「第5 大麻の有益性について 」もその要旨は伝えてある。

1。大麻取締法の根本的問題点と日本人のアイデンティティ

 大麻とは、古来から日本人に親しまれてきた麻のことであり、第二次大戦前はその栽培が国家によって奨励されてきたものである。

 京都にある麻製品を扱う「麻にこだわる麻の館、麻小路」という店のパンフレットでは次のように云っており、麻がいかに素晴らしいものであるのかがわかる。

ー『魔除けの麻幸せを呼ぶ麻』古来から「麻」は神聖なるものとして取り扱われてきました。今は、昔、天上より麻の草木を伝って神々、神仏 がこの地上に降り立たれたとされ、今日でも神社、社寺、仏閣でも、特に魔よけ、厄除け、おはらい等 に種々用いられております。特に魔よけとして縁起物にはよく使われております。「麻」の育成が素晴 らしく速く、その成長が発展、拡大にもつながり大きく根を張ることも含めて、商売繁盛、事業発展、 子孫繁栄にも根を張るとして、縁起物で重宝されております。事ある毎に「麻」にふれる機会の多い人ほど幸せであるといわれております。粋をつくした「麻製品」色々取揃えております。四季を通じてお楽しみ下さい。ー

  そもそも大麻とは神道において天照大神の御印とされ、日本人の魂であり、罪・けがれを払う神聖なものとされてきたのである。

 天照大神とは、生命の源である太陽すなわち大自然のエネルギーのことであり麻はその大自然の太陽 エネルギーを具体化したものであって、日本人の魂とは、麻に象徴される大自然のエネルギーのお陰で 生かされているという心のあり方を云うのではないかと思う。

  神話(中臣御祓)において大麻は天の岩戸開きの際にも使われているし、最近では新天皇の即位に際 して行なわれた大嘗祭において新天皇が使用した着物も麻で織られているのである。この麻の着物は「あらたえ」と呼ばれているが、徳島県に住む古来から麻の栽培・管理をしてきた忌部氏の子孫によっ て献上されたものである。二六〇〇年前にかかれた旧聖書エゼキェル書でも主たる神創造主ヤーベの言 葉として次のように述べており、麻の着物「あらたえ」を大嘗祭で天皇が使用したのと同様に、旧約聖書の世界でも麻の着物が神聖なものとされてきたことが明らかである。

  「しかし、サドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が、私を捨てて迷った時に、わが聖所の務を守った者どもは、私に仕えるために近付き、脂肪と血とを捧げるために、私の前に立てと、主たる神に云われる。すなわち彼らはわが聖所にはいり、わが台に近づいて私に仕え、私の務を守る。彼らが内庭の門に入る時は、麻の衣服を着なければならない。内庭の門および宮の内で、務をなす時は毛織物を身につけてはならない。また、頭には亜麻布の冠をつけ腰には、亜麻布のはかまをつけなければならない。ただし、汗の出るような衣を身につけてはならない。彼らは外庭に出る時、すなわ ち外庭に出て民に接する時は、務めをなす時の衣服は脱いで聖なる室に置き、ほかの衣服を着なければならない。これはその衣服を持って、その聖なることを民に移さないためである。」(「旧訳聖書」日本聖書協会発行、一二一三、一二一四頁)

 このような罪・けがれを払うとされた神聖なる大麻が、第二次大戦後の占領政策のもとで犯罪の対象 物とされてしまったのである。

 占領政策の目的は、日本の古来の文化を否定し、アメリカ型の産業社会を作ることにあったと思われるが、日本人の魂とされてきた大麻を規制する意味は極めて重大なことであると思う。

 日本は、明治維新によっていわゆる近代化の道を歩んだのであるが、特に第二次世界大戦は、戦後生 活の建て直しということもあり、物中心の競争原理に立った経済活動を優先してきたと思う。また、生活習慣も、例えば、食生活が米からパンに変わり、畳の生活も椅子の生活に、薬の分野でもいわゆる化学的合成薬が取り入れられ、従来の東洋医学は軽視されてきたのである。大麻は薬用として何千年も使用され、日本薬局方にもぜんそくの薬として登載されていたのかかわらず、大麻取締法の施行に伴って薬局方から除外されてしまったのである。

  人間は、植物を初めとする自然の恵みの中で生かされているのであって、日本人の伝統の中には自然  を聖なるものとして大切にしてきたものがあった。しかし経済復興の名のもとに、例えばダムの建設等自然生態系とそこに住む人々の生活を破壊する経済開発が国策として進められてきたために、川や海そして大気は汚染されてしまったのである。また、精神面でも、生活の中心が他者との競争関係に立った上での物質生活の確保にあったために、心の根底に不安感と孤独間を抱えたままの精神生活をしてきたと思う。「人はどこから来てどこへ行くのか」というのが人生の大問題であるが、どこからきたのかもわからずどこへ行くのかもわからないのでは人生の生きがいがわからないということになる。まさに「人はパンのみにては生きるにあらず」とは聖書の言葉であるが、この意味での人生に対する良き信念が、大自然との融合的生活という過去の良き日本の伝統が切断されたことによって、なくなってしまったのではないかと思う。

大麻取締法は、大自然のシンボルであった大麻を聖なるものから犯罪にしたものであってまさに日本人の魂を根底から否定するものであり、それは例えば日本人に英語をのみを話すことを強要するのと同様な日本文化の否定である。

 

2。犯罪とは何か。大麻の取扱いは果たして刑事罰で取締るべきものなのか。

 大麻取締法は、大麻の取扱について免許制度を採用し、懲役刑という刑事罰でもって無免許の取扱を禁止している。大麻の取扱をなぜ禁止しているのか、つまり大麻取締法の目的について同法は何らの規定を置いていない。このように目的規定のない法律はそもそもその存在理由が不明確であるから、民主主義社会においては無効とされるべきであろう。

 厚生省や警察等取締り当局や裁判所は、大麻取締法の目的として、大麻の使用による「国民の保健衛 生上の危害の防止である」と説明している。

 しかしながら、「国民の保健衛生上の危害の防止」という抽象的な概念を刑事罰の目的つまり法律で 保護される利益(法律学上は保護法益といわれる)とすること自体、人権尊重を基本理念とする近代的法体系にはなじまないものである。刑事罰特に懲役刑は、人の意に反して身体の自由を束縛し、労働を 強制するのであるから、それを課される者にとっては、人権侵害そのものであるので、刑事罰の適用は 必要かつ最小限にするべきである。

 大麻の使用が、どのような保健衛生上の危害を生じるのかについて、過去の裁判所の判例は、大麻には向精神作用があり、精神異常や幻覚が生じるとしているが、そこでいう精神異常や幻覚の内容については、例えば時間感覚がゆったりする、味覚・聴覚・視覚などの感覚が敏感になる(つまりよくなる) ということであって、刑事罰でもって取締らなければならない反社会的な犯罪行為とはまったく云えな いものである。

 向精神作用自体が危険であり、犯罪であるとすれば、アルコールの有する向精神作用(いわゆる酔いの作用)は大麻と比べ格段に強いものでありアルコールを大麻以上に厳しく取締らなければならなくなる。また、そもそも人間は自らの体内で向精神作用を有する神経伝達物質を生産するのであり、例えば 何かに集中したり、恋愛中であったり、また、大麻取締法違反等刑事事件で逮捕されたりしてショックを受けるとアドレナリン等いわゆる有害な脳内麻薬と呼ばれる神経伝達物質を生産するのである。末尾 添付の別表によればアドレナリンの半数致死量は体重一キログラムあたり、四ミリグラムである(なお、青酸カリの場合はほぼ同量の四、四ミリグラムである。)逮捕されること自体が有害な神経伝達物 質を生じさせるのであるから、大麻取締法そのものが、保健衛生上有害といえるのであって取締りの対象にしなければならなくなってしまうのである。

 そして判例で、大麻使用の危険性として具体的に指摘しているのは、自動車の運転のみである。しかし、道路交通法では、アルコールも含めた大麻など薬物の影響下で車を運転することを刑事罰で規制しており、また大麻の中毒者は運転免許の欠格事由とされているのであるから、この規制に加え、大麻の 取扱を一率に刑事罰でもって禁止することは、ただ単に犯罪者の数を増やすだけである。

 上告人丸井英弘は、過去二二年間に約一五〇件、関係者にして二〇〇人以上の大麻使用経験者に出会ったが、大麻の向精神作用は心身がリラックスすること、味覚・聴覚・など感覚が良くなること程度であり、具体的な弊害は発見できなかった。大麻使用の経験者には実質的にみて悪いことをしているという意識はなく、大麻取締法という法律に対し実質的権威を感じるものは皆無である。むしろ問題なのは、実質的な権威のない法律の存在によって司法に対する信頼感が喪失し、法治主義の基盤が崩壊することである。

3。大麻取締法は憲法第一三条(幸福追求権)・第一四条(平等権)・第一九条(思想・良心の自由)・第二一条(表現の自由)・第三一条(適正手続の保障)・第三六条(残虐な刑罰の禁止)に違反し無効である。

(一)問題の所在

 通常の大麻の心身に対する作用は気分をリラックスさせるものであって、酒でいえばほろ酔い程度の 精神作用があるものにすぎず、酒やニコチンタバコ以上に厳しい懲役刑という制裁を課する社会的必要 がないものであるばかりか、むしろ逆に大麻取締法は大麻の使用という個人の嗜好品選択の自由を否定するものであり、憲法の第一三条・第一四条・第一九条・第二一条・第三六条に各違反するものである。

 前述したように上告人丸井英弘は過去二二年間で約一五〇件の大麻取締法違反事件を担当して、大麻の使用を原因として少なくともアルコールやニコチンタバコ以上に心身に弊害があるという事例に出会ったことは一度もない。

 大麻の栽培・所持を懲役刑という個人の人身の自由という基本的人権を全面的に否定する刑事的威嚇でもって禁止をすることは、憲法第一三条の保障する幸福追及権を否定するものであり、また大麻より心身に有害とされているアルコール(酒)やニコチンタバコの所持・使用が未成年者を例外として原則として自由であるのに対し、大麻に対してはその取扱いが著しく厳しく差別的であり、憲法第一四条に 違反するものである。

 さらに、有害性のない大麻の取扱いを禁止する方法として懲役刑を採用することは、憲法第三六条に いう残虐な刑罰と評価するべきである。

 全ての薬物は、その利点とともになんらかの有害な側面を持っている。酒やタバコなどの嗜好品や砂糖や塩などの調味料でさえ有害な点を持っている。酒はアルコール依存症や振戦せん妄をおこすし、さらには暴力事件の原因になっている。またタバコは肺ガンの原因にな

る。塩はとり過ぎると高血圧になる。だからといって、これらの物質の販売が禁止されないのは、有害な点があるにもかかわらず、利点があり、かつ、販売禁止というような規制手段をとらなくとも、その有害性を一般国民はコントロールできると考えられるからであろう。

 大麻規制の合憲性を考えるにあたっても、次のような思考方法をとる必要がある。すなわち、大麻の使用になんらかの意味で「有害」な側面があるとしても、問題はその有害性をコントロールする規制手段として、懲役刑を科すことに合理的な根拠があるかどうかである。

「有害か無害か」という二者択一的な議論には、実益がない。大麻に有害な側面があるとすれば、その内容を科学的に検証したうえで、合理的な規制手段は何かを探るべきなのである。

4。大麻取締法は、信教の自由に対する不必要な制約を強いるものであるから、憲法第二〇条に違反し、無効である。 

大麻は、紙用・繊維用・燃料用・食用・薬用等人類にとって貴重なる植物であるが、ゾロアスター 教、ヒンズー教など宗教儀式にも用いられてきた。日本でも古来から神道や修げん道、密教などの儀式に使われてきた。

 大麻は神聖なる植物として、天の岩戸開きの際に使われたことが祝詞(中臣御祓)からも明らかであり、宮中では皇太子が生れた時にその平安を願って悪魔払いの儀式として鳴弦の儀という儀式が行なわ れるが、これは麻糸で作った弓の弦を鳴らすことによって行なわれている。さらに、伊勢神宮のお礼のことを大麻といい天照大神の「みしるし」とされており、麻は神道にとってなくてはならないものである。修験道では護摩を焚くという儀式があるが、大麻も使われていたと思われる。大正四年発行の「神宮大麻と国民性」によれば、大麻は日本人の魂であり、毎年神棚に大麻の穂を供えて祭ることが日本人の国民性としての基本であるとしている。

 天皇家の神道儀式においても昔から大麻が使われてきた。最近、昭和天皇崩御に伴い、新しい天皇が 行なう最も重要な儀式とされる大嘗祭が行なわれたが、その儀式の時に由加物として献上された麁服(あらたえ)とよばれる服は麻からできており、古来から神道の儀式用に大麻の栽培をしてきたのが四 国の徳島県に住む忌部氏(現在三木氏)一族である(なお、徳島県には地名として麻植郡という名前が あり、大麻神社もある)。

 右大嘗祭用の大麻の栽培は、自由ではなく、大麻取締法による免許手続の上行なわれた。

 なお、相撲も神様に奉納するための儀式であり、横綱の綱も大麻から作られるものである。

このような過去何千年、何万年もの昔の縄文時代から日本人にとって神聖な植物であり続けてきた大麻の栽培やその所持等を一率に懲役刑(営利性のある場合罰金刑が付加される)のみという刑事罰の威嚇でもって 禁止している大麻取締法は、神道という宗教儀式における麻の栽培使用に対し、理由のない制約を科するものである。

 また、神道の関係者にとって、神聖である大麻が大麻取締法の存在によって悪いものというレッテルを張られること自体精神的な苦痛であり、信教の自由に反するものである。

5。大麻取締法は大麻の栽培に対し、不合理な制約を強いるものであるから、憲法第二二条第一項(職業 選択の自由)に違反し、無効である。

 大麻は、繊維用、食用など農産物としても縄文時代の昔から栽培されてきたものであるが、そのような大麻の栽培を一率に懲役刑でもって禁止し、免許制にすることは農業用に大麻を生産してきた者にとって理由のない経済的および精神的負担を強いるものである。

 なお、長野県には美麻村という村があるが、この村は、古代から美しい麻の産地として知られ、明治八年に誕生したのであるが、麻の栽培を復活させ、それを村のシンボルとする運動をするために、平成三年に美麻村という村名の由来となった麻の博物館を設立した。また、美麻村の福祉企業センターでは、小学生を対象にして麻から和紙を作る体験学習も行なわれている。

 したがって、日本の古来から、貴重な農作物として栽培され使用されてきた大麻の栽培・使用を懲役刑という人の人身の自由と職業選択の自由を直接制約する反人道的方法でもって、一率に禁止している大麻取締法は、憲法第二二条第一項(職業選択の自由)に反するものである。

 ちなみに、道路交通法の保護法益は、大麻取締法の保護法益とされる「国民の保健・衛生」というような抽象的なものではなく、「車両の運転に伴う道路交通の安全と円滑」という具体性と社会的必要性のあるものといえるが、その具体的な規制方法として自動車の運転を免許制にしている。この点、大麻取締法も大麻の規制方法として免許制を採用しているのであって、道路交通法と同様である。しかしながら、その罰則については道路の通行者に対し人身事故を起こす可能性の高い自動車の無免許運転の 場合には六ヶ月以下の懲役または一〇万円以下の罰金である。他方、大麻取締法は、その保護法益が 不明確であるのにかかわらず、免許制が採用されしかも例えば大麻の栽培については懲役七年以下、それが営利の場合には一〇年以下の懲役および三〇〇万円以下の罰金という極めて過酷な刑罰となっている。

 大麻の栽培に対するこのような規制は、農業者の大麻の栽培を不必要に規制するものであり、憲法第 二二条一項の職業選択の自由に反するものである。

 また、憲法第二二条の職業選択の自由に関する過去の裁判例として、既に薬局開設などの許可基準とされている薬局間の地域的制限を定めた薬事法の規定の有効性について、過去合憲とされていた判例が、昭和五〇年四月三〇日の最高裁の大法廷判決で変更され違憲・無効とされているが、大麻取締法の合憲性の有無の判断についても、右薬事法に関する最高裁判決と同様の理由によって違憲・無効と判断 されるべき時期にきていると考えるものである。

 すなわち、右最高裁判決は、次のように述べている。

 「薬局の開設等の許可基準として地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同胞二 六条二項)は、社会政策的・経済政策的規制ではなく、主として国民の生命・健康に対する危険の防止 という消極的・警察的目的のための規制であるが、それにより排除しようとしている薬局等の偏在にと もなう過当競争による不良医薬品の供給される危険性は、単なる観念上の想定にすぎないので、公共の利益のために必要かつ合理的な規制ということはできず、憲法第二二条一項に違反し、無効である。」 そして、大麻取締法もその保護法益は、右薬事法第六条二項・四項と同様に「国民の生命・健康に対 する危険の防止」とされている。

 大麻は、古来から使用されてきたびわの葉等の薬草と同様な薬草なのであり、国民の生命・健康に対する危険性は「単なる観念上の想定にすぎない。」のであるから、大麻の栽培・譲渡等を懲役刑と罰金刑という刑事的制裁をもって一律率に規制することは大麻の生産者の職業選択の自由を侵害するものであり、憲法第二二条一項に違反し、無効と判断されるべきである。

6。大麻取締法第四条四号・第二五条の違憲性について。

 大麻取締法第四条四号は、大麻に関する広告を禁じているが、右規定は大麻に関して公に意見を発表することを刑事罰(同法第二五条で一年以下の懲役または二〇万円以下の罰金に処せられる。)でもって一律に禁止するものであり、憲法第一三条・第一九条・第二一条に明白に違反するものである。

 このような明白な違憲規定を有する大麻取締法は、法律それ自体の保護法益が不明確なこととあいまって、大麻取締法全体が違憲と評価されるべきである。

 

7。可罰的違法性の不存在。

@大麻とは古来から日本で繊維用・紙用・薬用等として貴重な植物とされてきた麻のことであり、刑事罰でもってその栽培を禁止する植物では決してない。

 昭和一二年には麻の栽培を奨励するために「大麻の研究」と題する書物が発行されていた程である。 また、薬草としても過去数千年も副作用がなく使用されてきた実績があり、前述のように明治二八年の 毎日新聞には次のような記事が載った程である(「心にはたらく薬たち」小林司著一九二頁参照)。

 「ぜんそくたばこ印度大麻煙草」として「本剤はぜんそくを発したる時軽症は一本、重症は二本を常の 巻煙草の如く吸う時は即時に全治し毫も身体に害なく抑も喘息を医するの療法に就いて此煙剤の特効且つ適切は既に欧亜医学士諸大家の確論なり。」

 なお、多摩川とは麻が多く栽培されている川という意味であって、多摩川べりには川崎市麻生区という地名も残っている程である。麻は武蔵の国の特産品であった歴史があり、調布という地名も麻布に関係しているものである。大麻の規制は第二次大戦後にGHQ(占領米軍)の占領政策にもとづいて一方的、強権的に行なわれたもので、その法制定手続自体に問題がある。他方アメリカ自体、例えばアラスカ州では一九七五年に最高裁の判決で自宅での大麻の栽培・所持を規制することはプライバシーの権 利に違反するとして不可罰とされており、また他の多くの州でも自宅での自己使用を不可罰としている。オランダ、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オーストラリア、ニュージランドなどでも大麻の自己使用については刑事罰を受けることはないという状況である。(特にドイツについては最近司法レベルで大麻の自己使用が認められるようになっているので、その状況を後に紹介する。)さらに、最近ではサンフランシスコでは医療用ではあるが、町の中でオランダのアムステルダムのように公然と大麻の販売が認められるようになっている。

なお、インド、中国、ネパール、カンポジア等アジア地域では、古来から大麻が日常的に栽培使用されてきた。例えば、カンボジアでの大麻の取扱いはまったく自由であることが、一九九二年一二月三日付朝日新聞の次の様な報道からも明らかである。

「カンボジアの大麻(青鉛筆)

▽カンボジアでは、大麻を育てるのも、販売するのも自由。たばこ売りの露店や市場で簡単に手に入る。乾燥させた葉一キロで役五〇〇〇リエル(約三〇〇円)。

▽PKO活動でタケオに宿営する自衛隊施設大隊では、日本国内で禁止の大麻も当然禁止。それでも、隊員の監視役のある幹部は「幸いタケオでは売っていなかった」と胸を撫で下ろす。

▽もっともカンボジアでも、吸引するのは外国人か自転車タクシーの運転手ら一部の人。実は「味が良くなり、食欲も増す」と、家庭でも料理屋でもスープの隠し味にこれを使う。隊員たちが知らずにゴクリなんてこともありそうだ。(プノンペン=加藤修)」 

Aすでに述べたように大麻には致死量がなく、アルコールやニコチンタバコに比べて心身に対する作用は極めておだやかであり、個人の健康上も格別に害のあるものではない。

犯罪とは人の生命・身体・財産という具体的な保護法益の侵害であるが、大麻取締法違反事件においてこの様な法益侵害はまったくみられない。大麻取締法反事件において大麻取締法の保護法益たる国民の保健衛生を具体的に侵害する可能性は何ら立証されていないのが現実である。

大麻取締法が、仮リに合憲であるとしても、その適用は、大麻取締法の保護法益とされる「国民の保健衛生」を具体的に侵害した場合に限定されるべきである。 この点に関し、厚生省の麻薬課長を証人尋問したうえで、大麻規制のあり方についてもんだ点を指摘した判例も存するのである。

すなわち、長野地裁伊那支部は、昭和六二年五月三〇日、大麻草約二〇グラムを譲渡した件について、検察官の懲役一〇月の求刑に対し、懲役三月・執行猶予二年という従来の判例における量刑基準か らすれば格段に軽い判決を下したが、特に判決の理由の中で、次の様に述べたのである。

 「以上のように大麻の作用について科学者間での認識は細部に至るまで一致してはおらず、未解明の点も多いが、従来は大麻精神病の存在も含め、その作用が強力であるとの見解が強く、これにもとづいて各国で大麻規制立法が規定されたが、その後一九七〇年代の主として米国における大規模な調査や実験の結果、人への作用はそれまで考えられていたほど強くはなく、他の薬物、ことにヘロイン・コカイン等の麻薬や覚醒剤に比較すればかなりの程度作用の弱い薬物であること、またアルコールに比較すれ ば、少量の場合の陶酔感の内容は若干異質のようであるがほぼ同様のものであり、多量、慢性的使用の場合の人格荒廃、凶悪犯罪等の弊害はアルコールの方が具体的に危険であることが次第に明らかとなって前記のような評価がほぼ支配的となってきたことが窺われる。」  「アルコール、ニコチンタバコと比べて大麻の規制は著しく厳しい。」 「刑事責任は行為の違法性と合理的な均衡を保たれるべきであり、右観点からは、少量の大麻を私的な休息の場で使用し、かつその影響が現実に社会生活上害を生じなかったような場合にまで懲役刑をもって臨むことに果してどれほどの合理性があるかは疑問なしとせず、少なくとも立法論としては再検討の余地があると解される。(この点については我国において昭和三八年の改正前は罰金刑が選択可能であったことが想起される。また諸外国における大麻規制の緩和については各々の社会事情も異なり、特に米国では使用者の増加による前科者の増加や取締の費用、労力の増加という事態も一つの大きな要因になったのであって、実情を異にする我国にとって全面的に参考とすることはできないが、右緩和の過程において、行為の違法性と刑事責任との均衡の問題を含め、大麻規制のあり方につき全面的かつ詳細な検討が加えられた点は我国においても参考とされるべきと思われる。)しかしながら本件は被告人が他人の使用に供することを目的として少なからぬ量の大麻を譲渡したというものであって、右のような場合と事案を異にしており、本件被告人の行為に適用する限りにおいて 懲役はやむを得ないと言うべく、前記大麻取締法の規定は憲法一三条、三一条に違反しない。」

また、東京地方裁判所の平成五年九月八日付判決では、大麻草三一九本の栽培と大麻九〇、〇六二グラムの所持で、検察官の懲役二年の求刑に対し、懲役一年六月執行猶予三年というこれまた従来の量刑基準からすれば非常に軽い判決を示したが、刑の理由の中で「有害性が認められているアルコールやタバコが刑罰をもって一律に使用が禁じられていないことを比較すると大麻を嗜好する者にとって、割り切れない気持ちが生ずることは否定できないであろう。」と指摘したのである。  

右各判決は、検察官も控訴せず確定している。 上告人らは現行大麻取締法が厳しすぎ、その内容について再検討する時期にきていると確信する。

ところで、憲法一三条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政(司法も当然に含まれる。のうえで、最大の尊重を必要とする。」と規定されているが、政府は、一九八九年(平成元年)二 月八日に一七罪種について大赦を閣議決定(同月一三日公布、同月二四日施行)したが、その中には、酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止に関する法律違反が含まれている。酒に酔って公衆に迷惑を かけたことが罪にされないとすれば、大麻取締法違反事件においては、何ら公衆に迷惑をかけていないのであるから、なおさらのこと不可罰にされてしかるべきと考える。それが、法の下の平等であり、社会正義ではないだろうか?

8。ドイツにおける大麻解禁の流れ

ドイツにおいる大麻の規制状況は、日本とはまったく異なり大麻使用の自由化が大きく進んでいる。裁判所のレベルですでに少量の大麻所持を規制することは、個人の自由権や平等権を否定するものであるという判断がなされている。

日本人でありながらドイツのブレーメン州で大麻などの解禁運動をしている折笠薫氏の報告によれば、ドイツの大麻解禁状況は、次のとおりである。(「マルファナX」第三書館発行、八〇〜八一頁参照)

一九九二年二月にリューベク市のネコスビィチ裁判長は、現行の大麻取締法は、アルコールに対する規制と比べて不合理であり、憲法に違反するとした。具体的には、次のように指摘した。アル中毒者は、ドイツに現在四万人いるが彼等は、法律的には、自分の責任でアル中になり、他人をも巻き込んで事故を起したり人を殺したりと社会的に大きなな弊害与えている。それにもかからわずに、合法的に認可され、そのアルコール消費者は刑法での取締の対象には、なっていない。反対に大麻は、ドイツ社会の中で誰一人として被害を生まず、それが原因となり他人を巻き込み、人を殺した例など全くみなられない。にもかかわらず、所持消費するだけで国家が介入して当局の取締の対象になっている。これは、憲法に保証された法のもとにおける平等の原則や個人の自由権に違反する。したがってアルコールの消費が合法化されている限りにおいて、大麻の消費も少量である限り合法化されるべきとしたのである。そして、一九九四年の三月にドイツ憲法裁裁判所は、このネコスビィチ裁判長の判断を支持したのである。そして、このドイツ憲法裁判所の判決以後、一九六八年の学生運動以来大麻啓蒙運動を続けてきた人達を中心にして大麻が喫煙できるコーヒーショップも開店されようとしているとのことである。

さらに、大麻の医学的有用性について、ベルリン医師会のフーバー会長は、次のように述べている。「大麻は、五〇〇〇年の昔から用いられている世界で最も古い薬である。二〇世紀の初期でも大麻は、さまざまな薬剤として利用されてきた。大麻は、世界の主な文化のなかで伝統的に利用されてきた。大麻が合法化された暁には、医学的有効性が実証される。」

すでにドイツにおいては、大麻製品を扱う販売店は、全国的にひろがっており、また少量の大麻の所持については、州の行政当局も青少年および健康への行政的配慮として黙認するという状況である。また、ドイツの学校では、大麻、アスベスト公害、外国人労働者の子弟との共存などの問題をテーマーにする社会教育が家族ぐるみの幅ひろい運動として広がっている。ドイツでは、口コミ、新聞、雑誌、TV放送などを通じて、大麻の普及が進んでおり、煙草、アルコールとならんで日常品に変わろうとしている。国際大麻学会の準備も進んでおり、ドイツは、いま大麻ルネッサンス文化の幕開けを迎えようとしている。

大麻の耕作の推進運動は、スペイン、イタリア、イギリスなどのヨーロッパ諸国では、すすんでおり、ヨーロッパ連合から、一ヘクタールあたり九〇〇Ecu(一一万三〇〇〇円相当)の大麻耕作援助金が支給されているのである。

第4。麻薬の薬理学的・社会学的定義と大麻

麻薬を薬理学的に定義すれば次の様にいいうるであろう。

「強い精神的および肉体的依存と使用量を増加する耐性傾向があって、その使用を中止すると禁断症状が起り、精神及び身体に障害を与え、さらには種々の犯罪を誘発する様な薬物」

しかしながら、大麻は以下に述べる様に薬理的にも社会的にも右の様に言われる麻薬では決してなく、また汚染と評価される有害なものではない。

1。大麻の作用に関する研究報告

@ラ・ガーディア報告 

一九三八年九月一三日ニューヨーク市における大麻問題について、当時の市長フィヨレロ・ラ・ガー ディアが、ニューヨーク医学アカデミーに対して、ニューヨーク市における大麻問題について科学的、 ならびに社会学的な研究を置くように、要請した。そこで、薬理学・心理学・社会学・生理学などの権 威者たち二〇人が参加して『ラ・ガーディア委員会』が作られ、さらに警官六人が常勤者としてこれを 助けて、系統的な大麻研究がおこなわれた。そして、一九四〇年四月から四一年にかけての研究の結果 が一九四四年に発表された。そこでは、次のような結論が出されている。

 1.大麻常用者は、親しみやすくて、社交的な性格であり、攻撃的とか、好戦的には見えないのが普通である。 

 2.犯罪と大麻使用との間には、直接の相関関係がない。

 3.性欲を特別に高めるような興奮作用はない。

 4.大麻喫煙を突然中止しても、禁断症状を起こさない。

 5.嗜癖を起こす薬ではない。

 6.数年に渡って大麻を常用しても、精神的・肉体的に機能が落ちることはない。

(小林司著『心に働く 薬たち』一七二〜一七三頁参照)

Aインド大麻薬物委員会報告

 一八九三年から一八九五年にかけて行なわれたイギリス政府のインド大麻薬物委員会の報告は、全巻、三,六九八ページからなっており、現在までに行われた大麻の研究の中でも群を抜いて完全で組織 的なものである、といわれている。

 しかしながら、アメリカ政府の国立精神衛生研究所の主任研究員で臨床医でもあるトッド・ミクリヤ 医学博士は次のように指摘されている。

 すなわち、「その内容の稀少性、そして多分その恐るべき膨大な規模のため、同報告の貴重な情報は、この問題に関する現代の文献の中に取入れられていない。これは実に不幸なことだ。というのも、今日アメリカで議論されている大麻に関する論争の多くは、このインド大麻薬物委員会の報告にすでに 記述されているからだ。イギリス人植民地官僚による文書の、時の流れにも色あせない明晰性に驚嘆するとともに、その努力を評価したい。もし現代において、この報告の中で実現されているような厳密さ と全般的な客観性の基準に達する諸研究グループが出来るなら、どんなに幸いなことだろう。」

 そして、この委員会の報告は、結論として次のように述べている。以下は、ミクリヤ医学博士がまとめられた論文の訳である。

 『委員会は、大麻に帰せられる影響に関して、全ての証拠を調べた。その根拠と結論を簡潔に要約するのがいいだろう。時々の適量の大麻使用は有益であるということがはっきりと確証された。しかしこの使用は薬用効果として考えられている。委員会が今、注意を限定しようとしているのは、むしろ大麻の通俗的で一般的な使用である。

 その効果を、身体的・精神的・または倫理的種類の影響に分けて考察すると便利である。

身体的影響

 身体的影響に関して言えば、委員会は、大麻の適量の使用は実際上有害な結果を全く伴わないという 結論に達した。中には特異体質が原因で、適量の使用ですら有害になる例外的なケースもあるかもしれない。恐らく例外的な過敏者の場合、いかなる物の使用も有害でないとはいえないのだ。また特別に厳しい風土や激しい労働と長時間太陽にさらされているような環境においては、人々が有益な効果を大麻の習慣的な適度の使用のためだと考えているケースも数多くあり、この一般の考えが事実に基づいたある根拠を持っていることを示す証拠がある。

一般的に言って委員会の見解では、大麻の適度の使用はどんな種類の身体的な害の原因ともならない。しかし、過度に使用すれば害を生じさせる。他の陶酔物のケースについてと同様、過度の使用は体質を弱める傾向があり、また使用者をより病気にかかりやすくさせる。かなりの証人達によって、大麻が原因だとされている特定の病気についても、過度の使用に よってもぜんそくを生じさせないことがわかった。ただし、前述したように、体質を弱めることによって間接的に赤痢を生じさせるかもしれない。そしてまた、主に煙を吸込む行為によって気管支炎を生じさせうるということもあるかもしれない。

精神的影響 

大麻の精神的影響と言われているものに関して、委員会は、大麻の適度の使用は精神に有害な影響を与えないという結論に達した。ただし、特に著しい神経過敏な特異体質のケースでは、適度な使用の場合でも精神的損傷がもたらされることはある。というのは、このようなケースでは、ごくわずかの精神 的刺激や興奮がそのような影響を及ぼすことがあるからだ。しかしこれらの極めて例外的なケースを別 にして、大麻の適度な使用は精神的な損傷をもたらさない。これは過度の使用の場合とは異なっている。過度の使用は精神的な不安定の兆しを示し、それを強化する。

倫理的影響

 大麻の倫理的影響に関する委員会の見解によると、その適度の使用はいかなる倫理的損傷ももたらさない。使用者の人格に有害な影響を与えると信じるに足る妥当な根拠は存在しない。他方で過度の消費 は、倫理的な弱さや堕落の兆しを示し、強める。

討議

 この被験者を全体的に観察してみると、通常これらの薬物の使用は度を過ごすことはなく、極端な使用は比較的少ないということを付け加えておくべきだろう。実際上、適度な使用は有害な結果を生み出すことは全くない。最も例外的な場合を除けば、適度な使用を常習的に続けても悪影響が出るということは認められない。

 過度に使用した場合でも、はっきりした悪影響が認められない場合が多くあるが、そうした使用はかなり危険だということをやはり認識すべきだろう。しかし、過度の使用が引き起こす悪影響はほぼ例外なく使用者自身に限られており、社会に対する影響を認識することはほとんどできない。

大麻の影響を観察することがほとんどできなかったということが、今回の調査の最はっきりした特色である。社会の各層から選ばれた人達の多くが大麻の影響を見たことが全くないと証言していること、そうした影響をきちんと説明できるほど記憶がはっきりしている者の数が非常に少ないこと、影響が認められると いわれたケースを調べてみると、直ちにそうでないことが判る場合が非常に多いこと、これらの事実を総合してみると大麻が社会に及ぼす影響はほとんどなかったということを最もはっきりと示している。」

 更に、大麻の管理政策のあり方について、次のような、貴重な提言をしている。 『インド大麻薬物委員会は、薬物規制政策における政府の役割に関して、哲学的または倫理的観点からの考察をふまえて、正面から取り組んだ。そして、薬物取締り法は、贅沢取締り法として位置づけら れ、その実施の可能性と個人及び社会への影響という観点から考察された。ある著名な歴史家(脚注 :J・A・フロウドの英国史、第二版、第一章五七ページ)は「いかなる法も、一般大衆の実用レベル の上にあっては何ら役にたたず、そうした法律が人間生活の中に入り込めば入り込むほど、違反の機会 が増える」と述べている。こうした表現が封建制度下の英国で真実であるならば、今日の英領インドに おいては更に真実となる。この国の政府は内なる勢力からうまれたものではなく、上から与えられたも のであって、こうした父子主義に基づく政治制度は、世論が形成される過程や国民のニーズが年々はっきりと表されるようになってくると、全く観念的なものになってしまう。父子主義は一六世紀の英国や、インドのある地方における併合直後の初期の開発段階においてはふさわしいものであったといえるだろう。もちろんインドの立法府においても、幼児殺しやヒンズーの寡婦を火あぶりにする習慣に関する法律に見られるように、一般的には受入れられない倫理基準を時として予想することがあっただろう。しかし、こうした法案は、政府の影響力の及ぶ事情において倫理に関する一般の考え方をどうして も変えなければならないという感覚と、時間の経過とともにこうした法案が社会の知識人から同意を得られるという確信から議会を通過してしまった。

ミルはその「政治経済学」の中の一章で不干渉の原則を論じているが、それによると政府の干渉には二つのタイプがあるという。

即ち、権力による干渉と勧告または情報の公表による干渉である。前者のタイプの干渉については、次のような所見が述べられた。即わち、「権力による干渉は、もう一方のそれと比べて合法的行為の範囲が非常に限られていることは、一見して明らかだ。如何なる場合においても、権力による干渉はそれを正当化する必要性が権力によらない干渉に比べより強くあるし、また人間生活においてはそうした干渉を絶対的に排除しなければならないところが多くある。社会の団結に関していかなる理論を取ろうと、またどんな政治制度のもとで生活しようとも、いかなる政府も、それが超人間的存在のものであれ、選ばれた者のものであれ、一般人のものであれ、絶対に踏込んではならない部分が人間一人一人のまわりに存在する。思慮分別ができる年齢に達した人間の生活には、いかなる個人または集団からも支配されない部分がある。人間の自由や尊厳に全然敬意を払わない者が投げかける疑問などを相手にしない部分が人間の存在の中にはあり、またなければならない。要は、どこにそうした制限を置くかということだ。自由に確保されるべき領域は、人間生活のどれほど広い分野を占めるべきなのか。その領域は、個人の内面であれ外面であれ、その人の人生にかかわる全ての分野を含み、個人への影響は、規範や倫理的影響を通してのみにするべきだ、と私は理解している。特に内的意識の領域、つまり思考・感情・ものの善悪・望ましいものと軽蔑するものとに対する価値観に関しては、それを法的強制力か単に事実上の手段によるかは別にして、他者に押し付けない、という原則が大切だと私は思う。

そして例外的に他者の内的意識や行動を規制する場合には、立証責任は常に規制を主張する側にある。また個人の自由に法律が介入することを正当化する事実は、単なる推定上のものであってはならない。

自分がやりたいと考えていることが押えられたり、何が望ましいのかという自分の判断と逆の行動をとることを強いられたりすることは、面倒なことだけではなく、人間の肉体または精神の機能の発達を、感覚的あるいは実際的な部分にかかわらず、常に停止させる傾向がある。各個人の良心が法的規制から自由にならなければ、それは多かれすくなかれ奴隷制度への堕落に荷担することになる。絶対に必要なもの以外の規制は、それを正当化することはほとんどない」この言及を長々と引用した理由は、この見解が、政府が大麻薬物を強権をもって禁止すべきか否かを決定するための指導原則をはっきりと説明していると、本委員会が信ずるからである。』

 上告人らも、大麻規制のあり方としては、このインド大麻薬物委員会つまり、ミルの見解は、日本国憲法の基本精神と同じであり、それを具体的に表現したのが、第一三条の幸福追及権であると考える。なお、インド大麻薬物委員会は、薬物(具体的には、大麻のことであるが)の使用を贅沢と位置付けてい るが、この贅沢という意味は、精神的幸福感という意味である。

 したがって、大麻規制のあり方としては、ミルのいう政府の干渉の二つのタイプのうち、強制的な権力による干渉ではなく、勧告または、情報の公開という方法が、日本国憲法の趣旨に合致するのであり、現行の懲役刑という大麻の規制方法は、国民の幸福追求権を否定し、更には、自由な精神のありかたすなわち、思想・良心の自由を否定するものである。

BWHOのレポート(No.四七八、一九七一年)

 このレポートは、一九七〇年一二月八日から一四日まで11人の世界的な専門家が討議のうえ作成したものである。そこでは、大麻の作用について、次のように報告されている。

 1.大麻を使っていると、それが飛び石になって、ヘロインその他の薬の中毒に移っていくという説 (踏み石理論)は、確かでない。なお、この踏み石理論は、アメリカで、禁酒法時代に、アルコールを 取り締まる根拠として、詰まり、アルコールが、ヘロインなどの薬物中毒の原因になるとして、主張された理論である。

 2.奇形の発生はない。

 3.凶暴な衝動的行動は、稀である。

 4.犯罪と大麻の因果関係は、立証されていない。

 5.耐性の上昇、すなわち、同じ効果を得るのに必要な使用量の上昇は、ほとんど見られない。

 6.身体的依存すなわち、その使用を止めると、汗が出るなどの禁断症状はない。

 7.多くの常用者には、精神的依存が見られる。しかし、この精神的依存いうことは、例えば、珈琲や煙 草、お酒、さらには、お菓子が好きな人が、また、飮みたいなとか、食べたいなと感じる気持ちのこと であって、大麻だけの特徴ではないし、格別、刑事罰を持って規制しなければならない作用ではない。 かりに、この精神的依存性が、刑罰を科する根拠にされることがあれば、例えは、ご飯が好きな人は、ご飯に精神的に依存しているということになり、ご飯禁止法を作らなければならないことになってしまうのであり、この考えが、極めて不合理なことは、明らかである。(小林司氏『心に働く薬たち』 一八〇〜一八一頁参照)

C大麻と薬物の乱用に関する全米委員会報告

 ニクソン大統領は、一九七一年に前年に議会を通過した薬物規制法に基づき前ペンシルベニア州知事のロイヤルドシェイファを委員長とする大麻と薬物の乱用に関する委員会を設置した。この委員会は、保守派といわれる一三人の委員によって、構成されており、一年に及ぶ調査の後、一九七二年三月 に『マリファナ:誤解の兆し』と題するレポートを発表し、更に一九七三年には、最初のレポートと結 論を同じくする最終報告を提出した。この報告の結論であるが、生田典久氏が、ジュリストのNo.六 五四の四二〜四三頁で、次のように簡潔にまとめられている。

 1.大麻には、耽溺性がない。

 2.大麻使用と犯罪またはその他の反社会的行動との関連性はない。

 3.大麻使用は、ヘロインなど危険な薬物への足掛かりにもならない。

 4.長期間の大麻常用者には、ある程度の耐性が生じることがあり得るが、その程度は、煙草以上のものではない。

 5.大麻の使用者も大麻自体も公衆の安全に対して、危険な存在を成しているとはいいえない。

2。大麻の心身に対する作用とその無害性

@大麻の「有害」な作用として、従来考えられてきたのは次の九項目である。

 1.踏み石理論ーーー大麻の味を覚えると、次に覚醒剤や麻薬を使いたくなるから、大麻は麻薬依存の 原因になる。

 2.催奇形ーーー奇形児が生まれる。

 3.暴力的になる。

 4.犯罪の原因になる。

 5.耐性が上がる。ーーー使用量を次第に増やさないと、きかなくなる。

 6.身体的依存性がある。ーーー使用を急に中止すると痙攣などをおこす。

 7.精神的依存性がある。ーーー使用したいという気持ちが強く、やめるといらいらしたり、

集中でき なくなったりする。

 8.慢性使用により無気力症状がおきる。

 9.精神異常がおこる。

 

このうち、1.から6.及び8.は、現在までの研究で完全に否定されている。

7.の精神的依存性は、アルコール、タバコ、コーヒー、パチンコなどにも見られるものであり、またその程度も低度であって「有害」と言えるようなものではまったくない。

9.の精神異常として考えられるのは、a恐慌反応(急性不安反応)ないし急性中毒性反応、b精神病誘発、cフラッシュバックの三種 類であるが以下その内容について検討をする。

 a恐慌反応(急性不安反応)は、大麻使用の経験のない者が始めて使用した時でかつ例えば、警察に 逮捕されるのではないかという様な不安感がある場合に起こることがある心理作用であり、大麻自体の作用ではない。

 急性中毒性反応は、非常に大量の大麻を一気に吸入した時に特異体質の人が示す状態であって、錯乱、興奮、不安、恐慌状態などがまれに起るとする見解がある。しかし、これは、大麻独特の反応ではなく、薬物を大量に服用すれば、アルコールはもちろんのことアスピリンその他のありふれた薬でも似た反応を起こすことがある。

 恐慌反応ないしバッドトリップが大麻によるものではなく社会的に引き起こされたものであることについて、アンドリュー・ワイル氏もその著『ナチュラル・マインド』の五八頁〜六一頁で次の様に述べ ている。

 「どのドラッグも恐慌反応の引き金となりうるが薬理的には大した根拠はないと思われる。つまり、恐慌反応はドラッグのもたらす直接的な結果ではなく、むしろドラッグの作用にたいするその人の感じ方への反応である。ドラッグをはじめて使用する者とかドラッグ・サブカルチャーには縁遠い者のほう が、恐慌反応を起こしやすい。さらに恐慌反応が最も起こりやすいのは、ドラッグの使用がまだ定着していない環境においてである。あるグループが同じセッティングで同じドラッグを同量摂取しても、そのうちのひとりだけが恐慌状態におちいることがよくある。これらの手がかりが示すように、個人のセットが恐慌反応の重要なファクターである。」  「恐慌反応のメカニズムは興味深い。ドラッグにたいして最初に抱いた不安感(ふつうは意識的なものである)のために、自分の知覚体験を死にかけているとか、あるいはもっと一般的には、発狂しかけているのだと解釈してしまう。そこで、自分のそういう状態についてほかの者に不安感をおぼえさせる ような行動をとり、ついでこの集団の不安感によって自分の不安感をいっそうつのらせてしまう。」  「ドラッグで恐慌反応を起したことのある者はかならずと言ってよいほど、恐慌に襲われるのがわかったと、あとで述懐する。すなわち、ドラッグの効果を感じる前に不安感をおぼえたというわけである。これは、ドラッグにかぎらず、何にたいする恐慌反応にも言えることである。事実、重要なのは、ドラッグが恐慌反応の引き金になるということではなく(新しい経験は何でも恐慌反応を引き起こす原因となりうるからである)、人を恐慌状態におとしいれるものはさまざまだということである。恐慌状態におちいりやすい者は、ある特定の状況のもとで感じる不安を抑圧しようとせずに、その不安感を自分で認め、他人にたいしても隠さないようにすることによって、それを防ぐことができる。さらに、はじめてドラッグを体験するときは、セッティングに充分な注意を払うべきである。心の支えになるようなセッティングであれば、恐慌状態にはおちいらないものである。」  b精神病誘発は、ブロンバークの調査、ラ・ガーディア調査などで否定されているし(グリーン・ス プーン著「マリファナ」『別冊サイエンス心理学特集不安の分析』日本経済新聞社発行 五九頁)、全米委員会報告、さらにはアメリカ教育福祉省の一九八〇年報告でも大麻使用が精神病の原因になるという証拠はないとしている。  cフラッシュバックは、大麻を服用しなくとも、服用したのと同様の精神状態が再現されることである。このこと自体は特に「有害」な作用ではないし、また、大麻だけにおこる作用ではなく、一種の心理反応である。

 以上のように、従来大麻の「有害な作用」と考えられてきたものは、今日では大部分否定され、一部肯定されるものも、大麻自体の作用とはいいがたく、また、その程度も刑事罰でもって規制する程の重篤なものではないことが明らかになっている。

A大麻の向精神作用と変性意識状態について。  大麻による向精神作用を精神異常と表現し、それを精神病症状と同義語に評価している可能性がある。

大麻の向精神作用による意識の状態は、心理学でいう変性意識状態の一つであるので変性意識状態 という表現の方が適切であると思われる。

 変性意識状態とは、スポーツや読書、芸術活動、恋愛状態など物事に集中している時や瞑想状態、さらにはアルコールなどに酔っている時の状態など通常の意識状態(OSCというーOrdinary StatesofConsciousnessというー)とは変った意識の状態(ASCというー AlteredStatesofConsciousnessとい

うー)のことをいうのである (井村宏次著「製品づくりのサイ・テクノロジー(上)」日本教文社刊『精神科学』昭和六〇年五月号 二四頁〜二九頁)。  そして井村宏次氏はその書『サイ・テクノロジー』三二二頁(工作舎刊)で次の様に述べている。

 「次に重要な点は以下の三点である。 (1)ASCには多くの種類(様相)がある。 (2)通常OSCが正常で、ASCの状態が意識の異常な状態であるとする見方はあたらない。ふたつは平等に重要な人間意識の次元だ。 (3)意識というものは、OSCであれASCであれ、その意識状態に応じて意識(作用)を生みだしている構成因群(タートはそれを下位系とよぶ)全体に変化が生じている。  これは私の表現であるが、意識とは波のようなものだ。表面相はさまざまに変化するーーないでいるとき、ゆるやかにたゆたう状態、三角の鋭い波型がいきりたつとき、大波、波涛、平面的でキラキラ光 る水面、しかし、海全体の様相は変わらない。海を表面から超深海にまで垂直にみてゆけば、フロイド 流意識のモデルと重複し、海の表情を種々規定してゆけばタートのいう『意識の諸相』が浮かびあがってくるのだ。タートの登場によって、現在、意識の科学は立体的科学的な理解への重要な手がかりを獲 得したといえるのだ。」  すなわち変性意識状態とは精神病症状態と同意義で使われる精神すなわち意識の異常な状態のことではなく、通常意識状態と同様に重要な人間の意識のことであり、アンドリュー・ワイル著『ナチュラル ・マインド』(草思社刊)でいうストーンド思考における意識状態のことであって、同著の四二頁〜四 三頁では次の様に述べられている。  「世界の深遠な宗教および哲学思想のほとんどが、個人(釈迦、パウロ、マホメットなど)の意識の変化した状態から生まれたものだということは、注目に価する。」

 「以上に述べたすべての情報から引き出せる結論は何か?

少なくとも、意識の変化した状態は、精神をポジティブな方向へと発展させる大きな力をもっていると考えられることである。それは、神経系をそれまで以上に有効かつ充分に活用し、創造性や知性を開発し、さらにこれを体験したことのある者が いちように高く評価してきた考え方を身につける道に通じていると思われるのである。そんなわけで、われわれが自分の知覚をいつもとちがったやり方で働かせてみたいという衝動、特に平常の自我中心的な意識から周期的に抜けだしたくなる衝動を生まれながらにもっているということは、まったく理に適ったことなのである。それは人間の神経系が現在のように進化するうえでの重要なファクターでさえあったのかもしれない。しかし、われわれの当面の関心は、アメリカにおいてこうした衝動が特定のかたちをとってあらわれることが引き起こしている不安感にあり、われわれは意識の変化した状態をどう理解したらよいかを考えようとしているわけである。明らかに、それは最初の仮説のようにもともと望ましくないものであるどころか、われわれにとって潜在的な価値をもっているものなのである。それは誰もが経験したことのある意識の状態に移行するということであり、決して異常なものではない。したがって、この衝動を抑えつけることはおそらく不可能であろうし、そうすることは危険ですらあるかもしれない。たしかに、それは、身体をある種の危険にさらすが、究極においては精神を高めることができるのである。この衝動の個人的・社会的なあらわれを抑えつけようとすることは、個人を心理的にかたわにし、種としての自殺行為となるかもしれないのである。われわれの好奇心、創造性、直観、至高の願望とこれほど密接に関わっていることがらをむやみにいじくりまわすのは好ましくないことなのである。」

 また、この向精神作用の有用性については、心理学者も認めている。  ブランダイス大学心理学教授のアブラハム・マズローは「メタ動機・価値ある生き方の生物学的基 盤」『自我を超えてートランスパーソナル宣言』(春秋社刊)の中で、向精神性薬物の適正な使用は、感覚の目覚め、身体の目覚め、内なる信号を受ける感受性を開発又は教育するのに役に立っていると述べている。

B大麻の向精神作用と精神の自由  ところで大麻の向精神作用とは、どんなものであろうか。

 これが果して刑事罰でもって取締らなければならないものであるのか否かが事実をもって確定されなければならない。  すでに述べた様に向精神作用とは精神すなわち意識に影響を与えることであり、それ自体有害なものではないばかりか有用なものである。人間とは意識のある動物であり、そしてその意識つまり精神状態 は常に変化している。

 意識を変化させることを止めるということは人間のもつ創造性を奪うことであり、みずからの感性の 自由を否定することを意味する。例えば、恋愛時における意識は、それ以外の時の意識とは違った意識の状態であり、かりに意識を変化させること自体を否定するということは、恋愛を否定することであり、また物事に対する感動を否定 することでもある。

 思想・良心の自由、信教の自由の根底にあるものは、意識を変化することの自由である。  過去の判例を分析すると大麻には向精神作用があるから有害だとしているようであるが、この様な考え方は精神の変化自体を有害だとするものであり、人間の本性である意識の自由を否定するものである。  さらに大麻の向精神作用の最大の特徴は、気持ちがゆったりする、リラックスするということである。そして大麻による意識の変化は意識力がなくなることではない。また自己コントロール力を失うということでもない。意識が変化しているということ自体は認識することができるのである。つまりリラックスしているということ自体を認識できるのである。そしてこの様な大麻の向精神作用は人間関係をなめらかにするものであり、有害というよりは有益でさえある。

C大麻の使用と精神病との関係

 大麻の使用が精神錯乱など精神病症状を起しうるという説もあるので反論する。

 前述したハーバード大学医学部精神医学科の準教授であるグリーンスプーン氏はその論文『マリファ ナ』「別冊サイエンス心理学特集不安の分析」日本経済新聞社発行五一頁〜六一頁で次の様に述べ、大 麻精神病の存在を否定している。

 「おそらくカンナビスに対する最も厳しい告発は、それが精神異常または少なくとも人格異常と結びつく可能性があるという点においてであろう。この問題については非常に多くの文献があり、さまざま な意見に分れている。インド、エジプト、モロッコ、ナイジェリアの多くの精神科医は、この薬物が精 神錯乱を起こしうることを力をこめて断定しているが、他の人々は起こしえないと主張している。 この告発の支持者として非常によく引き合いに出される権威者の一人はモロッコのべナバットであ る。彼は、この薬物が『カンナビス精神病』と呼ぶ独特な症候群をもたらすと信じている。その特異症 状の描写は、しかし、まったく明瞭さを欠き、そのような精神病の存在は他の研究者たちによって論ば くされている。この症候群に特有の症状といわれているものが、他の急性毒性状態、たとえば、特にモロッコでは、栄養失調や風土伝染病と関係のある状態にも共通して見うけられるのである。あらゆるタ イプの精神病に悩むキフ(マリファナ)喫煙者の数は一〇〇〇人のうち五人以上ではないとベナバットは推察しているが、しかしこの率は他の国々の全精神病の全推定発生率よりも低い。ということは、モロッコではキフ喫煙者の中に『カンナビス精神病』よりも普及率のはるかに低い他の精神病を持つ者が いるということか、または、『カンナビス精神病』といったものはなくて、薬物はいささかも精神病の 普及率に寄与していないかのどちらかであると考えねばならないだろう。

アメリカの精神科医、ブロンバーグは自身の研究の一つで、マリファナの毒性効果のせいと思われる 精神異常をもつ三一人の患者をあげている。しかしこのうち七人はこの薬物が単に促進作用を起こした にすぎない機能性精神病の素質をすでに持っており、他の七人は後に分裂病であることがわかり、一人 は操うつ病とあとで診断され、その他多くが薬物反応と誤診されうる精神病(五日分裂症)の急激な、または一時的な症状を有していたと考えられる。  ブロンバーグはかってマリファナを用いていた六七人の囚人の中に精神病をまったく発見していない。フリードマンとロックモアも、三一〇人のマリファナを吸う兵士を調べてまったく精神病を発見せず、同様な所見がかなり大きな標本を対象とした他のいくつかの調査でも報告されている。インドのチョプラ兄弟が行なった一二三八人のカンナビスの使用者に対する調査では一三人のみが精神病であったが、これは西洋の国々の全人口に対するほぼ通常の精神病発生率である。ラ・グアルディア調査で は、徹底的に調べられた七七人の被験者のうち九人が精神病歴を持っていた。しかしこの高率は、全被 験者が病院や施設の患者であったという事実のためと考えられる。」

 さらに、同氏は、大麻の適度使用は肉体的・精神的衰退を起こさない確たる証明があるとして次のように述べている。

 「マリファナの適量使用は肉体的・精神的衰退を起こさないという確固たる証明がある。この問題についての最も初期の最も大規模な調査の一つは、一八九〇年代に英国政府がインドで行なったものである。この調査の真の目的は、英国政府がその販売から膨大な税収入を得ていたスコッチ・ウイスキーは カンナビスより害が少ないということを断定することにあったと思われる。しかしながら、調査は英国 人特有の公平無私と徹底さをもって行なわれた。

『インド大麻薬物委員会』と呼ばれたその調査期間 は、カンナビス使用人と売人、医師、精神病院の院長、宗教人、その他さまざまなオーソリティを含む 約八〇〇人をインタビューし、一八九四年に三〇〇〇ページ以上におよぶ報告書を明らかにした。その 結果、カンナビスの適量使用がいかなる病気や精神的・道徳的損傷をひき起こすという証拠もなく、ウイスキーの適量が持つ以上に、過度な行為をもたらす傾向を持つという証拠もないことがわかった。

 ニューヨーク市のラ・グアルディア調査で、長期にわたって(平均すると八年)平均して日に七本の マリファナ煙草(比較的多量)をすっていた常用者を調べたところ、彼らはこの薬物を使用したことで 何ら精神的・肉体的衰弱に悩んでいないことがわかった。フリードマン(H・L・Freedman) とロックモア(M.J.Rockmore)による同様の調

査では、平均七年間にわたってマリファナ を用いていた三一〇人の兵士を調べて、同様の所見を明らかにしている。  このマリファナ問題で理性的に見通しをつけようとすると、どうしてもアルコールとの比較と、この 二つの薬物に対する世間の態度に何度もぶつかることになる。社交飲酒と呼ばれる習慣は、アップルパイと同じくらいアメリカ的なものと考えられており、ほぼそれと同じぐらい一般から受け入れられてい る。しかしこの種の飲酒でさえ明白な危険を有し、非常に深 刻な結果をもたらしている。生命保険の統計によると、酒を飲む人は、心臓や循環器系の疾患、ガン、消化器系の疾患、殺人、自殺、自動車その 他の事故、といった死亡の主要原因の平均よりもかなり高い死亡率を示しているのだ。自動車事故で死 んだ運転者の大多数は飲酒していたことが明らかになっている。

 これとは対照的に、マリファナが何らかの器質的疾患の発展をうながすということは現在まで証明されていない。また、今日唯一の運転に対する影響に関する調査である、ワシントン州の自動車局による 最近のコントロール・スタディによると、マリファナはアルコールよりも運転能力の損傷がきわめて少 ないことが明らかにされている。」

 また、全米委員会の一九七二年報告では、大麻の重度及び極重度使用の極めて長期的な効果という項 目(五四頁〜)の中で、次の様に述べており、大麻の極重度の極めて長期的な使用の場合にも社会的機能の障害もないし、精神病の原因にもならないと結論している。  「ジャマイカについての研究において、既応症、完全な健康診断、X線撮影、心電図血球および化学テ スト、肺・肝臓・腎臓機能のテスト、ホルモン検査、脳波、精神分析、心理テストの結果によれば、重 大な肉体的、精神的異常性で、マリファナ使用に起因するものは見出せなかった。通常用いられているような薬剤が使用者の出産における障害の原因になっているとの証拠はなかった。」 「ジャマイカ及ギリシャの研究対象者たちは、キヤナビスの極めて重度、長期の使用のみに起因し得るいかなる精神的機 能の障害も示さなかった。これらの人々は、彼らの集落の観察と広範な社会的インタビュー、心理学的テスト、精神分析などによると、彼らの、社会的経済的下層集団の規範から、行動上も精神的にも明白に離脱することなしに、この薬物を用いてきているようである。全体的人生様式は、彼らの社会的経済的下層集団における非使用者と異なっていなかった。彼らは彼らの教育に基づいた、平均的知性を有し、機敏で現実的であった。ほとんどの者が彼らの集団において、安定した家族、家庭、仕事、友人を持ち普通に生活していた。これらの人々は、重要な身体的行動的欠陥を持つこともなしに、重度の極めて長期にわたるキャナビスの使用を行ってきたようである。」

 「重大な精神障害による入院事例及びアルコール以外の薬物の使用は、この薬物を用いていない者たちと比べて特に高いということはない。特定の長期間続くキャナビスに関連した精神病の存在は、ほとんど示されていない。もし重度のキャナビス使用が、特定の精神病を生み出すのだとしたら、それは極め てまれであるか、又は他の重大な又は慢性的な精神障害と区別することが極めて困難なものであるに違いない。最近の研究によると、重度のキャナビス使用者の間における一切の精神病の発生は、全人口における 率と比べて高くないことを示している。そうした使用は入院した精神病患者の間でしばしば大いに広がっているが、この薬物が発病原因となっていると考えるのは、わずか二、三の事例にすぎない。これらのほとんどは短期的症状か、慢性的な過剰使用である。更にアルコールを同時に用いることが、入院を引き起こす事件で一つの役割を演じている。こうした事実は、キャナビスが精神的に不安定で弱い個人をひきつけるという、広く信じられている 考え方からすると、いささか驚くべきことである。」  逆に、大麻は精神病の治療に役に立つ可能性がある。  前述のグリーンスプーン論文では次の様に述べている。

 「フランスの医師ド・ツールはカンナビスのエキスでメランコリーと他の慢性精神病を治療して成功したと報告している。」「薬物中毒者が麻薬使用をやめるためにカンナビスを用いるテストは非常に有望な結果を示している。この目的のための最初の医学的使用は、一八九九年、英国の医師、バーチ (EdwardBirch)によって報告された。彼は抱水クメ ラール(chloral hydrote)常用者とアヘン常用者に対してそれぞれの薬物をカンナビスに替えるように指示し、 その結果、彼らがその禁断症状もなくやめることができたことを知った。同様の成功例が最近二つのテ ストであげられ注目に価する。一つは一九四二年、アレンタックとボーマンが報告したもので、彼らは アヘン中毒者にマリファナの誘導体を与えてしだいにやめさせており、もう一つの例は、一九五三年、 二人のノースカロライナ州の医師、トンプソン(L.S.Tompson)とプロクター(R.C. Proctor)によるもので、麻薬とバルビツール(barbiturates)とアルコールの中毒者である患者にテトラヒドロカンナビノールの一種であるピラヘキシル(pyrahexyl)を与えて中毒をやめさせている。奇妙なことに、こうした喜ばしい結果が大規模な臨床テストや基礎的研究によって追跡確認されていない。マリファナの医学的使用が可能かどうかという研究は、悪癖がつくという一般の印象がいまだに 残っていることとこの薬物が非合法で、研究用にすら入手が法的に困難であるという事実がじゃまをしているようだ。」

4。大麻の安全性について

 最近エイズ薬害問題における厚生省の薬務行政の責任が強く問われている。厚生省が安全であるとして薬としての販売を認められた多くの薬物が死亡事故を起こしているのである。  しかしながら、大麻は致死量がなく人類にとって極めて安全な食物である。薬物の安全性は動物実験で、実験動物が半数死亡する量で表われるが、各薬物の致死量は医学博士大木幸介著、光文社発行の 「麻薬・脳・文明」八九頁によれば末尾添付の別表のとおりである。  ニコチンの半数致死量は、体重一キログラムあたり、七.一ミリグラムであるから、体重六〇キログ ラムの場合の半数致死量は〇.四二六グラムであり、わずかタバコ一本分位の量である。

 お茶やコーヒーに含まれるカフェインの半数致死量は体重の一キログラム当たり二五〇ミリグラムで あるから、体重六〇キログラム当たり一五グラムにすぎない。また、アルコールの半数致死量は同じく 体重一キログラム当たり八グラムであるから体重六〇キログラムの人の場合四八〇グラムであるが、そ の量はわずかビールびん二本分位の量にすぎない。

 他方、大麻の場合大量に人体に取り入れても、眠ってしまったり、場合によれば吐いたりすることもあるが、今までの調査で大麻摂取による死亡例は報告されていないのである。

 なお、ニコチンタバコの有害性については、日本で販売されているタバコの箱には「健康のため吸い 過ぎに注意しましょう。」と表示されているように公知の事実であるが、ドイツで発売されているタバ コ(例えばマールボウロライト)の場合、その箱には、「Tobaccoseriously damageshealth」「Smokingcausescancer」と表示されており、その有害性は重大であり、他方大麻の場合右ニコチンタバコよりその有害性が低いことは明らかであるにもかかわらず、規制方法が著しく厳しいのであって、大麻使用者に対し不合理な制約を科してい るものである。

 厚生省の薬務行政は、安全な大麻を厳しく規制する一方、エイズ薬害問題はもちろんのことキノホルム、サリドマイド等副作用があり、多くの悲惨な薬害事件をひきおこした危険な薬物を薬として認可してきたのであって、その行政姿勢は国民の健康を守るのではなく、遂に国民を傷つけ、不健康な状態に追い込んでいるものであり、根本的に改める必要がある。

第5 大麻の有益性について

第二次大戦後、日本で大麻取締法の制定を強行したアメリカを初めオランダ、ドイツ、カナダ、オーストラリアなどでは大麻を地球環境保護の立場から見直す動きがでているが、大麻には次のような有益性があると指摘されている。なお、アメリカでは建国当時は大麻の栽培を奨励したのであるが、1930年代になって石油系の化学繊維が開発され、大麻とその市場が競合することが大麻の禁止をした社会的背景であるとの見解もある。


1。大麻から繊維がとれかつ土壌を改良する働きがある  
大麻は栽培密度と収穫時期を調節することにより、絹に近い繊細な衣類や船や工場で使うロープまで、さまざまな品質の製品が作られる。しかも大麻の栽培には化学肥料が不要で、熱帯から寒冷地、沼沢から乾燥地帯まで多様な気候・土地条件のもとで育ち、かつ大麻の根の働きによって土壌自体を改良する働きがある。

2。大麻から紙や建築用材、さらには土壌分解可能なプラスチック等ができる。
森林は人類に酸素を供給してくれるなど貴重な資源であるが、日本を始め先進国が紙や建築資材にするために森林の大規模な伐採を行なっており、地球環境の破壊が日々進行している。 大麻は一年草であり数カ月という短期間で成長し、その茎は紙の材料になったり建築用の合板に加工でき、さらには土壌に分解可能なプラスチックも出来るた
め、大切な森林を守ることが出来、またゴミ問題の解決に役立つものである。「独立宣言」を起草したアメリカ初代大統領のトーマス・ジェファーソンは、自分の農場で大麻を栽培し、製紙工場も持っていた。また、「独立宣言」の起草文は、大麻から作られた紙に書かれて、アメリカの国旗や紙幣までも大麻から作られたとのことである。なお、中国にある仏教の教典も大麻の紙から出来ているとのことでる。また、1940年代にはフオード社が大麻の繊維分を使って鉄よりも軽くてかつ丈夫な車体の製作に成功している程である。
3。大麻から燃料ができる

大麻の茎や葉を発酵させることにより、燃料(エタノール)が出来る。また、大麻の種にもオイル分が含まれている。地球の温暖化は化石燃料(石油、石炭、天然ガス)が放出する二酸化炭素が大気中に蓄積していくために生じる。しかし、大麻を燃料用に栽培すれば、成育途中で光合成により二酸化炭素を酸素に変えるので、地球の温暖化を防ぐことが出来る。

4。麻の種の有効利用
麻の有効利用のなかで極めて注目すべきものが、種の有効利用である。この種の有効利用については、日本ではほとんど注目されていないが、医療用・食用・燃料用など多目的に利用することができるので、今後その有効利用について調査・研究・開発をする価値が大いにあると思われる。そして、大麻はどこにでも生えるので、地球規模で生じると予想される食料不足を解決する可能性がある。
1)麻の種の成分の分析
(オランダ アムステルダムにあるGREEN LANDS という麻製品を取り扱っている店が発行している資料に基づいてまとめました。この資料は、ハンガリーのブタペスト大学の調査を参考にしています。)
蛋白質 約23%

油分  34% (この油分には、人間にとって必要な必須脂肪酸であるオメガ6とオメガ3が含まれている。)
繊維質 20%

栄養素としては
ビタミンB1.2.3.6,E,C

カルシウム
2)用途

@種は、中国では5穀の一つに数えられているように、有用な食料である。

A種に含まれる油分は燃料になる。
B種に含まれる油分は、皮膚の健康によく、アトピー性皮膚炎や火傷、花粉症などにも有効といわれている。
また、種自体、便秘などの胃腸薬として市販されているし、七味とうがらしの中にも入っているのである。

5。大麻から医薬品ができる。
古代から人類は、大麻を安全な医薬品として使用してきた。喘息、緑内障、てんかん、食欲減退、憂鬱などに効果があるほか、ストレスの解消にもなる。日本でも印度大麻煙草が、喘息の薬として、明治以降第二次大戦後まで市販されてきたが、格別の副作用や弊害は何ら報告されていない。
 小林司氏は別添『心にはたらく薬たち』一九二頁〜一九三頁の中で大麻の治療効果について次の様に 述べている。

 「一八九五年(明治二八年)一二月一七日の毎日新聞にはこんな広告がのっている。

 『ぜんそくたばこ印度大麻煙草』として『本剤はぜんそくを発したる時軽症は一本、重症は二本を常の 煙草の如く吸ときは即時に全治し毫も身体に害なく抑も喘息を医するの療法に就て此煙剤の特効且つ適切は既に欧亜医学士諸大家の確論なり。』
 日本薬局方にも印度大麻として載っていたくらいだから薬効があると考えられていたに違いないが、大麻は本当に薬効をもっているのだろうか。
 一九七四年には、フレデリック・ブラントンが大麻を使って眼内圧を下げ、緑内障の治療をした。二年後には、ミシシッピー大学でも、緑内障に有効なことが確認され、フロリダ、ニューメキシコ、ハワイ、インディアナとイリノイの各州では、マリウァナを医学に使うことが合法化された。また、その後ガンに対する化学療法に伴う副作用としての嘔吐を抑えるために、大麻が一番有効なことが確認されている。

 米国保健・教育・福祉省の『マリウァナと健康』第五リポート(一九七六年)によると、マリウァナは、眼内圧降下、気管支拡張、抗けいれん、腫瘍抑制(抗ガン作用など)、鎮静睡眠、鎮痛、麻酔前処置、抗うつ、抗吐、などの作用をもっており、アルコールや薬物依存の治療などに有効だ、という。 アルコール依存に効くのは、マリウァナがストレスを減らし、怒りにくくするかららしい。

 もっとも古い精神薬の一つであるマリウァナが世界中に広まり、禁止される一方では、二億人もの人たちが毎日喫煙しているという歴史と現状とを私たちは見てきた。その薬理学的特性は一九七〇年代末になってやっと明確になった。その毒性は使用量と関係があるようだ。量が過ぎれば、酒でも睡眠薬で もスパイスでも毒になる。マリウァナの有毒性でなしに有益な点を明らかにして、プラスの面を活用す るのが賢明な道というべきであろう。」
 前述したハーバード大学医学部精神医学科のレスター・グリンスプーン氏もその著「マリファナ」『別冊サイエンス心理学特集不安の分析』の中で次の様に述べている。

 「カンナビス・サテバは繊維原料として、土人が宗教的儀式に使う薬として、そしてインドでは特に薬剤として用いられ始めてから長い歴史を持つ。一九世紀に西洋では、さまざまな種類の病気や不快感、たとえばセキ、疲れ、リューマチ、ぜんそく、振戦譫妄(しんせんせんもう=ふるえや妄想)、偏頭痛、生理痛などに広くこの薬物が処方された。」
 厚生省薬務局麻薬課発行の『大麻』57・58頁でも次の様に述べている。

 「大麻が医薬品として使用された歴史は古く、中国では紀元前二〇〇〇年代に鎮静剤として使われていたようである。また、紀元後二〇〇年頃にも中国の魏で大麻を配伍した全身麻酔剤が使用されていたとの記録がある。
 インドにおいても一〇〇〇年も前から、大麻が医薬品として使われていた。即ち”アユルベダ”と呼ばれるインド古来の医薬品体系や”Unami”と呼ばれるアラビア(回教徒社会)から伝来した医薬品体系において、不眠症、神経過敏症、消化不良、下痢、赤痢、神経痛、神経炎、リューマチ、フケ、痔、らい病、便泌等に使われていた。また催淫剤としても用いられていた。アルゼンチンでは破傷風うつ病、疝痛、淋病、肺結核、喘息等の万能薬として、ブラジルでは、鎮静、催眠剤、喘息薬として、またアフリカでは土着民の間で炎症、赤痢、マラリヤ等に用いられていた。欧米に目を転じてみると、イギリスにおいては、一八〇〇年代にインドで生活したことのあるO’shaugnessyが、心身の苦悩の治療や疼痛、筋肉痙れん、破傷風、狂犬病、リューマチ、てんかんに使用しているし、アメリカでも一八〇〇年代に破傷風から肺結核までの万能薬として使われていた。」

 「わが国においても、大麻の医薬品としての応用について記した幾つかの文献がある。
 一五九〇年に中国の李時珍により編さんされた『本草網目』(一八九二種の医薬品が収載されている)がわが国にも伝えられている。同書には、”麻仁酒”と云う医薬品が紹介されている。その効能、用法は『骨髄、風毒痛にして、動くこと能ざるものを治す、大麻子の仁を取り、沙香袋に盛り酒を浸し てこれを飲む』と説明されている。」
 「近代に入ると『万病治療皇漢薬草図鑑』に大麻を煙草に混じて吸うとぜんそくに効果があり、また便泌、月経不順によいと記されている」


6。大麻繊維には免疫力を上げ、電磁波の悪影響を防ぐ効果があるとの見解がある
萩原弘通氏著の『免疫力を上げる生活』(株式会社サンロード社刊)293頁〜297頁では「絹・麻 と和紙で身を守る」と題し、次のとおりの指摘がなされている。
「私は、悪い電磁波を防ぐ物質は、かねて金属よりも絹、麻といった古来の繊維にあるのではないか、そして和紙も同様ではないかと想定していました。

その理由は、絹の場合、桑(桑の有効性はもっと研究され、認識されるべきです)を食べたカイコが、マユを作って中でサナギ時代は全く自分で行動することができません。動けないさなぎの安全をはかるため、口から出すマユ糸にはかれらの免疫力が与えられていると思われます。そのあたりに悪い電磁波に対抗できる何かがあるのではないかという想定です。

麻はもっと理由がはっきりしています。ただの繊維ではなく、邪気を払い除ける祓(はら)いの用具として発達し、古代の昔から神事をつかさどる忌部(いむべ)b後に斎部bが栽培、加工してきました。ご弊(へい)は和紙で作りますが、それ以前は麻の繊維を束ねていたことでしょう。また神聖な場所は必ず麻縄で囲って外部と遮断しました。ビニールではいけないのです。忌部は阿波国で式内社・大麻比古神社を中心に吉野川流域に発展し、紀州から伊勢、遠江、駿河と東進します。おそらく一〜二世紀前後でしょう。伊豆で三島大社の祭神と婚姻関係を結び、伊豆七島から安房へ上陸して安房神社をつくりました。神道における祓いとは、心身にまとわりつく邪気(けがれ)を取り除く儀礼ですが、今日の人の目に見えない邪気の中にはいろいろあって、良くない霊魂(霊的エネルギー)、邪念(念波の中の邪悪なものでこれも微弱エネルギー)からも防御しようとしました。忌部たちはやがて麻作りから発展したであろう和紙の製造を担当することになります。麻を紙におきかえるようになったことは、和紙にも麻同様の力(ここでは祓いの用具としての実行性)がある事を認識したからだと思われます。
江本勝氏によって『恨み』というメンタル波動は、肉体的には腸と皮膚波動と100%共鳴同調するとともに、神経細胞がいかれるだけでなく『超短波』波動を呼び込む事がわかりました。その逆もありえるわけで『超短波』波動の障害を受けていると『恨み』を受け止めてしまうわけです。そうした『超短波』『電磁波』波動を麻、和紙には防御する力がありそうだ、と私は推測したきたのです。この想定が正しければ、コピー機の周囲を麻でくくってしまうことが、〆縄で神聖な場所を囲う事と同じ論理が成立するかもしれません。」
「和紙などは、むしろ私たちの免疫力を上げる機能さえ持っています。和紙の原料は楮(こうぞ)、ミツマタ、雁皮などで、これにマニラ麻、桑皮、麻ぼろ、木材パルプなどを加えて、古来の手すき法で作っていますが、このなかで(未分析ですが)楮(こうぞ)の波動が良いのではないかと推定しています。前に、エジプト原産のモロヘイヤの波動について述べましたが、すばらしい波動をもっていました。モロヘイヤは麻の一種です。あの繊維で紙を作る構想もあると聞いています。完成したら、その波動を調べてみたいものです。こうした事から、技術者は一笑に付すことなく、日本古来の天然繊維を使って、いい電磁波防御服を作ってもらいたいものです。そして、日本の家屋が障子やふすま、つまり和紙で仕切られていることが、寒さを防ぎ風をさえぎっているばかりではない事を再認識したいものです。」


7。バイオマスエネルギーにおける大麻の有用性

 人類が排出する温室効果ガスによる地球温暖化問題は、最も深刻な環境問題をいわれている。そして、温室効果ガスの中でCO2は最も大きな影響力を有しその排出量の7割以上は化石燃料の燃焼に起因すると考えられている。したがって、地球温暖化を抑止するためには、エネルギーシステムからのCO2排出量の大幅は削減が必要である。そして、バイオマスは生育過程においてCO2を吸収するので、燃焼に伴うCO2排出量はゼロとみなすことができるのである。

 バイオマスは、植物が光合成によって、太陽光と二酸化炭素から作り出したものであるが、植物が一年間に地球上で成長した量、すなわち一次生産量は、石油換算で約800億トンに相当し、全世界で消費しているエネルギーの約8倍に相当するといわれている。
 大麻は、その生育期間が約100日であり、他方木材の場合にはその生育期間が50年から100年(短期サイクルのハイブリッド・ポプラでもその生育期間は5年である)であるので、大麻をバイオマスエネルギーとして使えば、木材よりはるかに有利にバイオマスとして利用できる。また、バイオマスのために植林をすれば、食料生産のための農地が減少することが考えられるが、大麻の場合には、その種が有用な食料源になるので、そのようなことはない。逆に、麻の生産は、バイオマスエネルギーと食料が同時に生産されるという有利さがある。
 また、大麻の種に含まれている有用な成分の利用や茎に含まれているセルロースの有効利用は、人類の健康とゴミ問題の解決ためにも極めて大切である。

8。麻産業の活性化と雇用確保
 大麻から生産をすることができる製品は、紙・建材・燃料・衣類・食料・医薬品など2万5000から5万にものぼるといわれている。麻産業の活性化は、農業の育成と雇用確保につながる。
9。麻産業の重要性ー日本における環境問題・食料問題・エネルギー問題に対する今後の課題

 環境循環型で自給自足を目指した経済・エネルギー政策の確立が必要である。そのためには、現在の環境破壊型の産業構造を転換する必要がある。
具体的には、農業・漁業・林業など自然生態系に即した産業の現代的回復が必要である。その中で紙・建材・生分解性のプラスチック・食料・エネルギー・医薬品などを生産できる麻産業の果たす役割は、極めて大きい。
日本では例えば、製紙会社は木材パルプから紙を生産しているが、その既存の技術と設備を生かして麻パルプから紙を生産することが可能である。また、生分解性のプラスチックをつくる技術と設備を既に日本の企業は有していると思われる。このように日本企業の有する技術と設備を生かしながら、麻産業を日本に現代的に復活をすることが可能である。